優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

くっついていたい

辛いなあ。辛い。

この夫がいない世界で生きるということは、本当に辛い。

私と夫の会話が、私の頭の中だけで完結する。

2人の秘密ごとなら良い。でも2人じゃなくて、たった1人の思考。秘密でもなんでもない。ただ1人であるということ。1人で思い浮かべて、2人の会話にしているということ。

夫が死んでしまうなんて、私の人生は、こんな悲劇を経験することになっていたのか。

はじまりは、きっと大きいことではなかった。ある日夫の心に黒い不安がぽわんと浮かんだ。消そうと思って、私に話したり、自分で考えてみたりしたことだろう。でも、黒い不安は数日後も残っていた。日を追うごとに、その不安が、徐々に大きくなっていって、半年経った頃には、夫を覆い尽くしてしまった。その不安が、それだけの時間をかけて大きくなっていく過程で、私は夫の異変に気づいていたのに、何もしなかった。

あんなに表情がおかしかったのに。あんなに人が変わったような態度だったのに。

人生がうまくいっていないから、年齢的にも人生が面白くないから、そうなってしまったのかな、と思っていた。

私は、夫の苦悩を、軽視していたのだろうか。

夫の考えることや苦悩を、くだらないと思ったことはないから、軽視はしていないはずだ。

でも、夫がそれほど苦悩しなくて良いことで、大いに苦悩しているように思えた。

私だったら、10年かけても叶わないと思う夢を、夫は今叶っていないことがこの世の終わりと思っていた。その感覚を私は共有できなかったし、なんだかドツボにハマってるなあ、早く抜け出して頑張るしかないのになあ、と思っていた。夫がずっと憧れてきた夢なのだから、今ここで悩んでいないで、がむしゃらに頑張れば良いのに。なぜ今、諦めて、全部放り出すのだろうと思っていた。でも、後から聞けば、夫は放り出したくて放り出したのでもなく、悩んでいたという。

今なら彼の生い立ちとか、思考法とか、出会ってから一緒に歩んできた日々とか、どれだけ夫がこの夢に人生をかけていたかを思い出して、あの時より夫の苦悩をわかってあげられるだろうか。なぜ、あのタイミングで、夫の心がぷつんと切れてしまったか。そして切れた後は、現実逃避と焦りに追われて、彼が追い込まれていってしまったか。

今は夫が亡くなったから、1から10まで、全部受け入れる、全部肯定する気持ちが私の中で強い。でも、あの頃は、焦りとイライラでどんどん生きづらそうになっていく夫に、私もイライラしてしまった。夢だけじゃない。日常生活のいろんな事を担わなくなって、私への批判も多くて。それを全部暖かく包みこんで「今つらいよね、大丈夫?」なんて声をかけられる器は私にはなかった。夫を責めないことで精一杯。今は悩んでいるのだろうと思って、小言を言わないようにすることで精一杯。今更、どれだけ精一杯だったかを確認しても、保身なだけだけどね。

過去を振り返ると、後悔することとか、自分を嫌悪したくなることばかり。ずっと隣にいた者として、私の一挙一動、全てが最後に夫の死につながっていると思うから。じゃあ、もう一度同じ立場に立ったとき、私は違う行動が取れるかと考えると、多分、相当に難しい。でも、夫が死ぬくらいなら、相当難しくても、やっぱり違う行動が取れたらいいのにと思う。

雨の音を聞きながら、ただつらつらとそんなことを考えた。

「もう一度」があったなら、私は違う未来を夫に用意してあげられるだろうか。

無償の愛を無限に発揮して、這いつくばってでも、世界中を敵に回してでも、彼を守れるだろうか。

今でも、そんなことができる自信は全然ない。

でも、もし夫が生き返ることがあったなら。

せめてこんな悲しい死に方は繰り返さないよう、最良のプランを考えるだろう。

夫との再会の暁には、右手にロープを持って、泣きながら夫に駆け寄りたい。ハグするかと思いきや、瞬時に蹲み込み、夫と自分の足を並ばせて、2人の足首を強く固結びで縛りたい。そうやって、私にできることは、もう一生夫の隣を離れないことくらい。もう一生、2人3脚で歩くことくらい。

そんなことをしたら、トイレに行くのが面倒そうだけど、それくらい、くっついていたい。