優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

5ヶ月を生きたんだな

昨日はいろんな思いがあって苦しかったけど、ここに書きだしてみて、何がもやもやしたかとか、日中に自分が何を頑張ったかわかって、少し気持ちが楽になった。最後には夫のことを書いて、ちょっと夫の様子を思い浮かべたりして、くらーい気持ちから始まったのに、やっぱり夫のことが大好きだなあ、とニコニコとあったかい気持ちになった。すごいヒーリング効果だなあ、ブログって。また、それが自己満足だけでなくて、色々な人に読んでもらったり、スタンプを押してもらって、ぐいっと底から持ち上げてもらった気持ちになった。本当に、ありがとうございます。

昨日、新しく「5ヶ月後」というカテゴリーを作った。あの日から、とても長い時間が流れたのだなと思った。ほのぼのとした私の人生であんな悲劇が起こって、どうしようもなく苦しくて。そんな想像したこともない苦しみと共に、私は5ヶ月も生きてきたんだ。これまでの人生で、こんなに時が止まった5ヶ月間はなかった。今は、1日、1日を生きるだけで、精一杯。生きることを肯定することで精一杯。あれほどに大好きな夫が死んでしまって、この世に意味なんてもうないと見限った後で、それでもまたこの生に意味づけをしていく日が来ると信じることで、精一杯。それでも、人は死というものは、なるべく、なるべく、回避するみたいだ。生まれた時から、死にたい人はいないもんね。本当は、生きるために生まれてきたから。

私は、環境的にものすごく恵まれている。自分の家族には回復を焦らされないし、相変わらずおばあちゃんの部屋で2人で寝てるし、収入だってあるし、元々の心身の図太さみたいなものも持っている。でも、死別の方法がなんであれ、もっとずっと大変な環境に突如として陥ってしまう人もいる。すぐに新しい仕事を探さなきゃならなかったり、実家には頼れずにひとり暮らしの部屋に引っ越さなければならなかったり、お子さんが小さくて、とんでもないプレッシャーで泣く時間さえ取れない人もいる。私からすれば、夫との子供はほしかったし、子供のためにも生きるという選択肢を持っている人は羨ましい。でも、死別直後の数年間に、自分の悲しむ時間も繰り上げて育児や介護をすることは、本当に大変だと思う。私なんかは完全に思考停止してても家族が面倒を見てくれるけど、育児や介護をする人は常に「ここで私が停止してはいけない」という観念との戦いだろうなと思う。

人は変化を実態よりも恐れるし、極端に過酷な環境にもすぐ慣れるし、そうかと思うと隣の芝は青いし、結局どれがいい、悪いという話ではない。ただ思うことは、私と同じような悲しい状況に陥っても、日々歯を食いしばり続けて頑張っている人はこの世の中にたくさんいて、私がその中で1人悲劇のヒロインになるわけにはいかなくて、むしろもっと大変な人を支えたいとも思うし、最終的にはどの人にも、この絶望の先に光が見えると良いなと思う。