優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

一体どうすりゃよかったの問題

自分に救えたはずなのに、救えなかった命。

自死遺族が感じる、「自分さえこうしていれば」という気持ち。

あるいは、「自分があんなことさえしなければ」という、より直接的に死を招いた気持ち。

遺族の中には、その人が亡くなるなんて想像もつかなかった、というくらい唐突な死もあれば、私のように、それまでの経緯で密接に関与していて、そのまま相手の死を招く引き金を引いてしまった例もある。

こちらで夫に向かって銃を撃って、それを受けて夫は死んでしまった、そんな気持ち。

その銃を撃ったのは、正確には私一人ではなくて、私たち一人一人が、誤射してしまった。そのほんの1時間前までは、夫自身、死ぬなんて思っていなかっただろうし、こちらも殺してしまうなんて思っていなかった。全ては好転させていくためのステップのはずだった。

私が、今後夫の死因を自殺とか、自死と呼ぶことはあるのだろうか。これらの言葉は、そこに当事者の意志とか、能動性があるように聞こえるから、私としては、抵抗がある。もちろん死にたくて死ぬ人は圧倒的少数だろうから、そんなことを言い出したら、みんな抵抗があるだろうし、やっぱり私に偏見があるのかな。当面は、この問題はいいや。向き合いたくなったら、向き合おう。ずっと、向き合わないかもしれない。社会へのリスペクトより、私は夫へのフェアネスを重視したいから。夫にフェアであるためには、夫は自殺はしていないというのが、私の答えだ。

人生は、本当に些細なことが積み上げられて、続いていくんだね。あの時、この時、もっとこうしていれば、ああしていればという思いは、たくさんある。そのどれかが実際変わっていたら、今夫と私がいる場所も、全然違うかもしれない。

夫のように素敵な人が、この世に生まれてきたこと。2人が出会えたこと。幸せな時間を10年以上共に歩んだこと。その後の変化に対応しきれなかったこと。これが全部、日々のちょっとした積み重ね。夫が亡くなった原因だって、何か一つに絞ることはできなくて、遡れば、遡るほど、どこまで行けばいいのかわからなくなる。結局夫と私が出会ったために、こういう症状が夫にでることは、避けられなかったのかなとも思う。私と夫があの時したような無謀な人生のチャレンジにでなかったとしても、夫の夢を叶える支えになりたかった私は、またいくらでもその機会をキャリアの中で模索したと思う。それで、30代半ばでも、40代になってからでも、そういうチャレンジを2人はしたんじゃないだろうか。夫がそのチャレンジの中で苦しんだとき、私はきっとあんな対応とか反応しか、できなかっただろう。そうなると、もうその後の夫婦の苦しみも不可避であって、あとは回復をどうすればできたかということになる。

後悔すればするほど、どこかまで遡って、原因を探したくなったり、解決策を考えたくなるけど、遡っては、また似たような結果しか想像できず、結局ぐるぐると迷宮入りして、理想の人生はうまく描けなかったりする。

そういう意味では、夫が亡くなる瞬間まで、後悔よりも、前を向いて、回復していくぞと意気込んでいた私は、その精神力含めて、正しい行いをしていたんだけどな。

この出口のない自問自答を、一体どうすりゃよかったの問題と名付けて、これからも果敢に自問自答していこうと思う。