優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

レディ・ボーデン

今日、ようやく転入届を出した。

本当は、1月の半ばをめどに出す必要があったんだけど、緊急事態宣言中はそれを過ぎても認められるとのことで、月末までに出そうと思っていた。

月末はちょうど週末だったので、今日、朝思い立って、夕方に時間休をとって区役所まで行ってきた。そんなこんなで、今日は2021年の年明け以降、私にとって最も遠い場所へのお出かけとなった。

私がこんな状態なので、親が車で送っていくと言ってくれたけど、大丈夫と言って一人で歩いて行った。なんにも考えずに、ただ両肩にずっしり負のオーラを乗せて歩いたら、普段は徒歩20分の場所にある区役所まで、40分くらいかかった。そうして終業時間ぎりぎりに滑り込みで窓口についた。

転入届を出すと、優しそうな50代くらいの女性が対応してくれた。最初は女性も私に年相応の敬語で話してくれていたのだけど、私が腑抜けなのを見て、最後の方は親しみを込めて友達のお母さんみたいに話してくれた。「転入は1人ね?ウン、それでおうちはマンション?戸建て?転入の日はこれでいいのかな?」私は「うん」と「ううん」を繰り返しながら、頭の中では他の思考がぐるぐる回っていた。

なんで私の転入届は1人なんだろう。なんで私の住民票は1人なんだろう。

なんで私は今、こんな惨めな顔で、実家近くの区役所にいるのだろう。

それに、転入届を出しにいくのが嫌だった理由は他にもあって、夫のことについて質問されたら、どうしよう、と思っていた。

結果的に、私の負のオーラが500%だったからか、単に資料上齟齬がなかったからかわからないけど、「夫と2人での転入じゃないのか」なんてことは聞かれずに済んだ。でも、手続きが終わった時には、まるでそれを聞かれたのかと思うくらい、潰れてへこんだ自分がいた。

これは、とても社会に出ていけないな、と思った。こんな作業一つでこんなにぺしゃんこなっているなんて。ここ数日、気分が特に落ちてるもんだから、余計かもしれない。気分の波は、生理と共にやってくる。元々そこまで生理に影響を受ける人ではないはずなんだけど、昨日はたまたま夫の可愛い写真をたくさん再発見したこともあって、私のぷよぷよのハートが悲しみでぶっつぶれた。

加えて、今朝、父とのちょっとした会話もひっかかっていた。話の流れから、私が「夫が亡くなる前の3週間、私が夫のそばにいなかったことが、夫を極限まで追い詰めた気がしてる」と言うと、父は、私の話をよく聞いて、深くうなずき、「そうかもしれないねえ」と言った。それは、全然想定通りの反応で、私自身否定して欲しくて言ってるわけはないのだけど、それほど深く賛同されると、また違ったプレッシャーを感じて、息苦しくなった。死の責任を背負うことは、生半可なことではないんだな。一人で考えることと、他人に言われることは、また違う。原因追求は穏やかにやらないといけないと、改めて思った。

そんな傷口に粗塩塗るようなことをしているから、今日も重傷のまま区役所に行くはめになったんだ。

 

区役所からの帰り道、私は昔習い事の帰りによく買っていたグリコのセブンティーンアイスを自販機で買った。それを寒風の中食べながら、歩いた。アイスを食べる自分は、ちょっと生命力あるよなと思った。どん底にいるはずなのに、アイスは食べる。そのことに慰められて、慰められた自分にまた、慰められる。それで、横断歩道で突っ立ちながら、ふと思い出した。夫も亡くなる前日、レディ・ボーデンのバニラアイスを食べていた。本当は、私だって、夫だって、ハーゲン・ダッツが一番おいしいって知っている。それなのに、それより安いアイスを食べてる。なんだか、似た者同士だなと思った。それに、亡くなる前日の夜だったのだから、その頃は夫だって死ぬほど苦しかったはずだ。でも、アイスは食べていた。

ん、待てよ、ということは、3週間私が離れていた時期も、夫はそれなりにやっていたのだろうか?明日にも死のうと決心している人は、きっとバニラアイスなんて食べないんじゃないか。私は、電話から聞こえる夫の声や反応から、夫がギリギリの中でも、なんとかやってくれていると思っていた。でも、あの期間が夫に死を決心させたとしたら、それは私があまりに夫を理解していなかったし、苦しめてしまったと、とても悔やんでいた。でも、あの人は前日まで、アイス食べてたのか。それなら、やっぱり、前日までは、なんとかやっていたのだろうか。それで、亡くなる当日の、あの一連の流れが直接の引き金なんだろうか。私にとって、夫の死が計画的なものだったのか、衝動的な事故のようなものだったのかは、大切なことだ。どちらの場合も、死という結果は変わらないし、それだけ苦しかったということではある。でも、前日まではアイスを食べて、少し気楽に過ごせる時間もあったのかと思うと、ほんの少しだけ救われる。自分が夫に与えた苦しみは、少なければ少ない方がいい。私にも見放されたと思ったまま亡くなっていたら、本当に悲しくて、私は亡くなった夫をゆすり起こしてでも、全力で愛していたと伝えたい。

なんでもかんでも、こじつけしかできないのだけど、今日は苦しい中でアイスを食べて、夫に思いを馳せた。そこでアイスのつながりが生まれた。それで、ほんのちょっとだけ救いがあった。ほんとうに、ちょっとだけだけど、今日はそれがよかった。