優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

好きな芸能人

テレビを見ていて、「この人全然好きじゃない」とか、「なんで人気があるのかわからない」というような会話がすぐ飛び交う我が家の会話は、少し高齢化が進んでいるのかなと思う時がある。今のメディアは、特定の人間だけがテレビやネットにでていて、視聴者はファンになるよう、日々刷り込みをされているわけで、もしかしたら嫌いという反発感情がでるのも無理のないことなのかもしれない。でも、みんながみんなを愛しあえれば良いのに、そうもいかない人間は難しい生き物だなと思う。みんなが均等に愛しあえれば本当はいいのだけど、そうなったらスターなんて誕生しないし、芸能人なんて成り立たないかもしれないし、第一、親友とか、恋人とか、夫婦だって、存在し得ないのかもしれない。

夫の考え方で私が尊敬するのは、すぐに好き、とか嫌い、という判断を下さないところだ。特に、テレビの中の人物で、自分が会ったこともなければ、話したこともない相手について、こういう言葉を言ったことがない。日常生活でもその態度は同じ。しいて言えば、ずるい人はあまり好きではなかったと思う。でも、ずるい人の中でも、愛せるずるさと、愛せないずるさがあるらしい。ずるい人は世の中にたくさんいる。ずるい上で、そのずるさを背負って生きている人もいる。そういう人は、どこか人間的に見えたりもする。逆に、ずるいのに、そのことに対する一瞬のためらいも、切なさも、悲哀も感じさせないような、底抜けにずるい人、世間では幸せな人に括られるような人は、好きじゃなかったと思う。まあ、これは私の憶測だけど。

夫と一緒に過ごす中で、私はいろんな芸能人やスターを好きと表明していた。例えば、One Directionのハリー・スタイルズが格好良く見えすぎる時期があった。面白いことに、私の芸能人の好みは、全て夫から派生している。周りから見たら、似ても似つかないのだと思うけど、私の中で共通点がある。松潤もそうだし、東出くんもそうだ。元々タイプではないはずなのに、夫を彷彿とさせる何かがあって、別にファンとは違うけど、ちょっと気になった。実物をお披露目する日がきたら、大ブーイングだろうから、これ以上は控えたい。私の中では、もちろん夫の方が、私のタイプである。

そんな中で、夫のルックスとは関係なく私の目がややハートになりかけていたのが、エレカシ の宮本さんだ。このとき、夫が嫉妬とも思える反応をした。それは、まだ夫も夢に挑戦していて、私たちが荒波にもまれて苦しかった頃のこと。私はエレカシの曲に大いに励まされて、家でずっとエレカシや宮本さんの話をしたり、Youtubeで動画検索をして、お酒を飲みながら夫にも一緒に見てもらったりした。最初こそ一緒に楽しんでくれていたものの、何度目かに夫は我慢ができなくなり、「エレカシは才能がありそうで、ない(なのにみんみんは才能があるかのように褒めている)」と怒った。『彼らの曲の中で良いのは、「今宵の月のように」だけだ』と言って、「もう僕の前でエレカシの話はするな」と言われた。この時期、夫は自分に才能がないという最終通告を自分の中で準備している段階にあって、今思えば、そんな中で私が他の男性にうつつを抜かしていることが許せなかったのだと思う。さらに、騒いでいる相手がものすごい美貌や才能を持つかと思いきや、夫の感性には合わなかったらしい。この時期に端を発して、結構喧嘩も増えていったんだけど、私が夫を好きな理由はこの後にある。それから1年半以上が経過して、夫が亡くなる前の数ヶ月、夫は一人の時、激しい混乱と苦しみの合間にも、良い音楽をたくさん聞いていた。そのプレイリストを私は覗いたことがある。「くるり/ばらの花」、「奥田民生イージーライダー」などがあった。そして、その後には、エレカシの「今宵の月のように」もあった。

夫は、本当に憎めない。

宮本さんが嫌いなら、嫌ってくれていいのに、そういう判断でもない。

きっと、そういう意味ではなかったんだと思う。やっぱり、どこまでもすごいなと思う。嘘偽りのない人で、まっすぐだなあと思う。だから私は、こんなに離れてしまっても、こんなに惚れ込んでいるのだけど。惚れたままで、惚れたままで、本当に困ってしまう。