優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

電話越しのエール

こんな自問自答の無限ループの中で鬱々としつつも、やり抜くぞと決心していることもある。

私が会社に対して出した労働環境改善の意見は、どのような温度感で社内で扱われているか、まだ感じとることはできない。まるでポストの口に投函した手紙のような状態で、ポストの中では関係者によって「どうしたものか」とやや冷めた目で見られているのだろうか。

私はというと、この一連の取り組みが死別の悲しみからくる感情論と捉えられることを恐れている。夫を亡くした女が発狂して、あてつけを言ってきていると思われるのだろうかと被害妄想的に考える。もちろん、原動力としてはそれもあると思う。でも、こういった行動に値するかどうかの正常な判断は、さすがに今の私にもできると思っている。今日は公立の労働相談窓口に電話相談をして、そのお墨付きももらった。「相手の反応にひるまずに、あなたはあなたの主張を凛として続けるべきです」と言ってもらって、嬉しかった。

きっと、死ぬことすら怖くない今の私くらいしか、こんなことに切り込んでいけないと思う。こんなことしても報われることはないけど、私の後進となる会社の若い子羊たちがこれ以上苦しめられることのないように、私がずぶずぶ進もうと思う。今、私が申し入れていることは、一般的に職場が「白か黒かは言い切れず、グレーである」と結論づけたいものだと自覚しているので、改めて黒であると認めた上で、改善をしていく意志をなんとか引き出したい。そうじゃないと、うちの会社あるあるとして、就活生に話しちゃうよ?!話しちゃまずいことなら、病巣全部一掃しちゃおうぜ!と思う。

近々、2回目の意見聴取があるから、それまでに私の中で暴れるいろんな感情を抑えつつ、最終的には組織にとって建設的で前向きな提案を、意見書としてまとめて出そうと思う。私は感情の塊なので、どうしても、熱量が、ほとばしる。こんな性格が夫に勇気を与えた時期もあり、きっと夫を苦しめた時期もあり、なんだか本当に自分の特性を昔のように可愛がることができなくなった。この相手を傷つけるトドメの言葉を繰り出す頭と口は、どうにかしないといけない。精神分析でも受ければよいのだろうか。日常的には、夫にそんなこと、全然言ってなかったのにね・・・ストレスを感じた時には、人間の本性が出て、私の本性が出てしまったのだろうな。相手を言い負かしてことを進めようとするこの性格。生ぬるい自己嫌悪と自分への攻撃は尽きない。

今日は、過去の経緯を思い出しながら意見書をドラフトしていたら、ものすごく苦しくなって、親が買い出しに出かけた隙に声を上げて泣いた。夫が最期まで持ち歩いていた洋服の袋をあけて、夫の匂いを吸ったら、嗚咽が止まらなくなった。両親が帰宅してもその勢いは止まることなく、「何か荷物でも整理しようとしたの?」とオロオロさせてしまった。

そうじゃないの。私の頭の中は、常に夫のことで一杯なんだ。何かをきっかけに思い出すんじゃなくて、悲しくて悲しくて悲しい気持ちを、1分1秒、抑えてなんとか生活しているの。

悲しむことにきっかけはない。

ただ夫がこの世にいないというだけで、悲しむには十分すぎる理由なんだ。