優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

救世主

苦しいときとか、悲しいときとか、自分浸ってるなあとか思って、浸ってるとなんか痛々しいんだろうなあとか思うけど、浸る時間も大事だと思う。

どうでも良い話なんだけど、夫が亡くなるちょっと前くらいから私はメルカリを始めて、2人の引っ越し後の新生活に向けて、家の中のいろんなものを売ろうと思ってた。夫が亡くなる直前から出品した物が売れ始めて、今も数日に一回、手持ちのどうでも良いものが売れていく。しかも、結構良い値段で売れていくもんだから、世の中の需要と供給とはどうなっているんだろうと思う。その一方で、このやりとりの反対側の人も、私みたいに病んでて物を買っているとしたら、もっと安い値段で売った方がいいかななんてよぎる。メルカリ、どんな人が参加しているんだろう。みんな、健やかな気持ちで参加できていると良いのだけど。

出品したものが売れたら、梱包をしてコンビニに行かないといけない。コンビニに行って、送付状を印刷して、それをレジに持っていく。夫が亡くなった後、私は実家の家族以外の人との交流が何もなかった。誰とも連絡を取りたくなかった。唯一夜中に交流したのが、コンビニの店員さんだった。それも、レジに行ってから送付状の貼り付けがうまくいかなかったり、送付状を差し込むのに手間取ってイラつかれたり、時々優しい店員さんだとこれから郵送する箱の隙間に埋める新聞を一緒に丸めてくれたり、時々イケメンの店員さんがいてちょっともじもじしてる自分がいた。夫が死んだ後でも、こういう感情の動きがある自分に気づく。パソコンで会社の人とやりとりしてるのとは違う、生身の人間の、喜怒哀楽みたいなものを感じる。

夫の回復期、料理に洗濯にと家事を頑張ってくれていた頃。「スーパーに行ったら孤独感が紛れるかと思ったけど、何も埋まらなかった」と言っていた。夫は、誰かと交流することを待っていた。夫が亡くなった後、つくづく思うことのトップ5に入るのは、夫にメルカリを勧めればよかった。こんなにコンビニ店員さんと交流あるし、顔見知りになるし、発送だって手伝ってくれたり、若い女の子だとイライラすらしてくれる。しかも、夫が気にしてた収入だって生まれてしまう。こんなどうでもいいことで、もしかしたら2人の人生は上向いたんだろうかと、そんな軽い考えに連れて行って欲しくなる日もある。