優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

悲しい思い出

夫が体調を崩してから回復していた時期、私は仕事に追われつつも、日中、夫の様子を聞くのにメールしたり、電話したりしていた。週末はほとんど夫と過ごして、楽しいことをしようとしていた。

学生時代、夫とは毎日のように会っていたし、社会人になってからも週3くらいは会っていたんじゃないかと思う。普段の私たちが楽しかったことをしようと思って、夫の療養中も無理のない範囲でお出かけした。イルミネーションを見たり、桜を見たり、ピクニックをしたり、外食をしたり・・・。夫は、元気がない日も多かったけど、私にとっては少しずつ元気になってくれれば嬉しかった。今となってはそういう気持ちを伝えられていたかも、まったく自信がないのだけど。

夫が再び大きく体調を崩す前の2019年7月、私は週末に美容院に行って、いつものように表参道から夫に電話をした。「可愛くしてもらったよ!来れそう?」って聞いたら、夫も合流してくれるという。それで、夫を待つ間、表参道ヒルズの中を歩いて、Spotifyエド・シーランを聴いていた。この高揚感のある音楽と、7月の初夏の感じ、気持ち良いな〜と思った。ちょうど、梅雨がとても長い夏で、気分が滅入っていたから、久しぶりに明るい気分だった。

夫が到着して、夫にそのことを話した。「音楽聴きながら散歩したら、すごく気持ち良いよ!エド・シーランのWhat do I knowって曲、すごくいい歌でびっくりした!」そう言って、イヤホンを片方夫に貸した。夫もいい曲だね〜!と言ってくれた。それで、片方ずつイヤホンをつけて、2人で渋谷まで歩いた。

そこから、どこでどんな会話をしたか、あまり覚えていない。でも、渋谷駅近くの大きな交差点まで来たところで夫をふと見上げたら、夫は壊れそうな顔して泣いていた。夫が泣く時の表情ほど、私の気持ちを苦しくするものはない。夫はちょっとやそっとでは泣かない。でも、本当に悲しい時に、大きな瞳から、大粒の涙を流す。

夫が泣いている姿を見て、私はどうしていいかわからなくなって、スクランブル交差点の横で一緒に泣いた。それで、ごめんね、悲しい気持ちにさせちゃったよね?って謝った。音楽が夢に溢れていたからかな?何か思い出させてしまったのかな?と思った。夫は、昔こうやってよく2人で音楽を聴いたなと思ったら、涙がでたんだと教えてくれた。

夫は、音楽に泣いたんじゃなくて、私との幸せな日々を思い出して泣いていた。この時期、私はなんとか2人で明るい方を向いていこうとしていた。夫には、違う世界が見えていたのかもしれない。今の2人ではなくて、昔の2人を見ていた。そして今を見ると、きっと夫は1人だったんだと思う。今、隣にいる私とは、とても距離を感じてしまっていたのかもしれないし、理解してもらえない孤独を感じていたと思う。同じ年の6月、夫は医療者に対して「ものすごく孤独」と言っていた。私が隣にいるのに、孤独なんだなと思って、もっと他の人が必要だと思った。でも、やっぱりそれも、私が寄り添えていなかっただけだと思う。寄り添えていたら、孤独なんて感じないはずだから。だって、1人じゃなくて、2人になるんだから。2人でも孤独なんてこと、本当は事実誤認だもの。

状況は違えど、夫もいたし、私もいたし、他の誰でもない私たち自身なら、きっと何かの幸せにたどり着けたのに。そんなことを、誰かに言って欲しかった。誰か、まったく関係のない人からでいいから、無責任でもいいから、そんな意見を私たちに伝えて欲しかった。一度だけ会うことができた医療者の方から、そんな言葉をかけてもらったことがある。「ご主人も、奥様も、とても若い。想像していたよりも若い2人でびっくりした。とても未来を感じた。お2人には未来がある。」その言葉が嬉しかったし、夫に聞いてほしかった。夫はその時、医療者が自宅に来るとわかって外出してしまって、聞けなかった。あんな言葉を、夫の混乱が強まる前に伝えてくれる人がいればよかったのにと思う。

この世の中に絶対的なものってあまりなくて、確実なことだってなくて、本当は人と人の認知だけを頼りに生きているようなところがある。誰かがそう言えばそう、言わなければ、そうと思い込むことは難しい。夫が生きてるだって、死んでるだって、そういうことになってるからそう思うけど、全ては主観と客観で形づくられていて、だからこそ言葉の力って、本当に大きいと思う。言葉は偉大。言葉も心も、偉大。つらつら考えていたら、夫という物体がなくても、言葉や心でできることはあるのかな、なんて思えてきたけど。それはまた別の話だ。