優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

思い出ポイント

実家に帰ってきてしばらくの間は、自分の勉強机の引き出しとか棚とかを整理すると、夫との思い出の品を再発見することがたくさんあった。いつかにもらった手紙とか、年賀状とか、プレゼントとか、写真とか。ポロっとUSBとかSDカードがでてくると、すごくウキウキしてパソコンにつないだ。それで、中身を見て、一喜一憂してた。

とくに画像データは他のもの以上に楽しめる。写真を見れば、手元のアイテムとシンクロする新たな記憶が蘇った。「あっ、この手紙が写ってる!この場所でもらったのかー」とか、「お〜、この年にこのプレゼントだったかー」とか。それで、宝探しみたいに写真を漁った。中にはいくつか動画もあって、それが一番嬉しかった。夫の声とか、動く表情とか、優しい動作とかが、全部体感できる。夫のちょっとした表情が愛おしすぎて、数秒の動きを何度も何度も一時停止しながら見返した。それで、一番気に入ったところでスクショを撮った。けっこう、やばい人。今、私のケータイは、夫のスクショでいっぱい。しかも、気に入ったスクショを実物大でPCに出して、それと一緒に自撮りした。まだツーショットが撮れることが嬉しかったのに、保存した画像を見たら、夫だけ顔認証されなくて、ヘコんだ。

そんな夫のお宝も、まだ少しはこの部屋のどこかに眠ってるかもしれない。でも、もうだいぶ揃ってしまった。もう大体の年の年賀状は見つけてしまったし、大体の誕生日の手紙も揃った。もしかしたら、あそこにもあるかも、という場所を小出しに見ているけど、何もでてこないことも多くて、落胆する。

もう夫がこの世にいないのならば、新しい思い出は、できない。

夫から私への愛の言葉だって、もう聞くことはできない。

夫が何日も迷って買ってくれるプレゼントだって、もう増えることはない。

夫の素晴らしい手紙も、手元にある封筒の分以上はもう増えない。

夢を見ると、「もしかしたら、夫とつながっていたりして」、なんて思うけど、こうして手に取れるものや、夫からと信じて疑わないものは、もう絶対に増えない。

そう思ったら、今ある手紙の内容の新鮮味を取っておきたくなって、最近は読み返さないようにしてる。なんの我慢大会なんだろうと思う。

もっともっと、夫との思い出がわんさかないと困るのに。

亡くなって2ヶ月足らずで、もう思い出ポイントを使い果たしそう。

時間が過ぎるのが、怖い。

夫がいない時間がただ増えていくことを、全然、受け入れたくない。