夫を認めてくれた人たち
夫が芸術の道に向かう中で、応援してくれた人もいた。
大学の先生から、「君はもっと作品をつくると良い。持ってきてくれれば、見てあげるよ」と言ってもらったことがあった。
一時期通っていた養成校の先生からは、最初こそ首を傾げられていたが、そのうち作風を理解してもらえるようになり、「ようやくわかった、君はどんどんこれで作り続けなさい」と言ってもらった。
同じ養成校のクラスメイトが、帰り際に夫を追いかけてきて、作品を褒めてくれたこともあった。そのクラスメイトは、その後、大きな賞を取って、プロデビューしたと夫から聞いた。
夫の苦しみの始まりは、自分に才能がないとようやく30歳で自覚したことだと言っていた。
あたかも、それまで夢を見ていた自分が馬鹿であったかのように。
あたかも、自分の価値が幻だったかのように。
でも、夫の作品は、ちゃんと人の心を動かしていた。
私は、夫から時折聞くことができた控え目なエピソードから、ずっとそう信じていた。夫の作品が届く人は、きっといる。いつかきっと、認めてもらえる。夫だって、どこかでそのことを信じたかったと思う。
私は、夫の作品を見ても、残念ながら良さがわからない。だから、本当は夫の作品を認めてくださった方々に、どこが、どう響いたのか、教えてほしい。もっと言えば、夫のどんな思いを作品から読み取るか、教えてほしい。そして、その中にもし私へのメッセージがあれば、それだって知りたくてしょうがない。
夫が体調を崩してから、そのクラスメイトのことが私の頭の片隅にずっとあった。今日、たまたま夫が残した資料を見ている中で気になる情報があって、ふとインターネットで調べたら、「多分この方だったかな?」と思える人を見つけることができた。
お名前しかわからないけど、どうにか連絡をとってみようかな。
きっと、夫を追いかけて感想を伝えてくれるような方なので、感動のアンテナを普段から張られていて、頻繁にあったようなことなのかもしれないけど。
でも、少しでも覚えていたら。それか、覚えていなくても、もう一度夫の作品を見てもらえたら。
そんなことをつらつら考えている。