夫がいない世界を生きてる実感
今日は中学の友人が家に来てくれた。
5時間くらい、一緒にいてくれた。
いっぱい話を聞いてくれて、嬉しかった。
話ながら、やっぱり夫がいないことが信じられなくて、涙はでなかった。でも、夫が亡くなった直後に、生きてる意味をまったく感じられなかった私が、今日は友人と話してる瞬間だけ、意味を感じられた。思わずそう友人にも説明してた。
夫がいないことが信じられない。
夫がいない世界なんて信じたくない。
夫がいない世界なら、生きる意味がない。
夫がいない世界なら、生きていたくない。
そんなふうにずっとつながっていたけど、今日の一瞬は、能動的に自分が生きてる感覚があった。
夫がいない世界で、自分が存在しているという感覚。
夫が亡くなって初めて、家族以外の誰かと会ったもんね。
それで初めて、色々話した。
家族といる間は、自分の実存はあまり感じられなかった。
これは現実か幻かわからない、ファジーな世界だった。
でも、今日の友人と交流する自分は、現実にいた。友人と交流した今日の現実世界で、夫は確かに亡くなっていた。そこで、私が実存していた。
夜になって、また不安になって、最近の夫の動画を見て、いないことが恐ろしくなって名前を呼んで泣いた。
夫がいない世界はやっぱり恐ろしい。
この洞穴から出ては、入り、出ては、入りをずっと繰り返すのかな。
それでも、やっぱり明日の朝、自分の目が覚めずに全部終われば良いと思うけどね。
こんな現実、ぜんぜんいらない。友人が帰って、また世界が灰色になっちゃった。