優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

耳を傾けなかった私

誰かのことを全てわかった気持ちになってるのって、危ないことなんだな。

私は夫のこと、よくわかんないけど、全部わかってる気がしてた。わかんないところも含めて、わかってるような感覚を持ってた。でも、よく考えたら、他者をわかることって、ない。他者はわからないものだからこそ、わかり合えたときはものすごく嬉しい。夫とはわかり合えた喜びが出会ってから今まで、続きすぎた。続いて、続いて、続いたうちに、もう全部わかった気がしてた。でも、私も夫も、刻一刻と変化を続けてて、分かり合えることは本来、瞬間的な現象。それなのに、それを常態的な、永遠のものと勘違いしてしまった。

ここ数年の写真を見返して、わたしの表情も、夫の表情も、とても苦しいものになっていた。この頃の写真を見ると、身の丈を超えた夢に憧れて、間違った歯車に2人で乗っていく姿が映ってる。戸惑い、背伸び、自己否定、攻撃。あの頃の緊張して、不安で、苦しい気持ちを思い出す。それでも、相手が何で苦しいか、耳を傾けることはなかった。

もっともっと、心のうちを聞き出すべきだった。異変には気づいていたのに、なんか最近変じゃない?みたいな軽いことしか思いつかった。もっと話しやすい言葉を選ぶべきだった。包むように隣に寄り添うべきだった。夫が何で苦しくて、どう苦しいのか、それを夫の言葉で表現してもらうべきだった。私は今、夫が死んで、悲しい。でもその一文では何も表せてない。それに続く溢れる言葉を聞いてもらったときに、私は理解されたと感じる。夫には、一文しか言う隙を与えなかった。なんならその一文さえ私が代弁してしまっていたかもしれない。

どれもこれも、今更考えてもしょうがないことばっかりだ。本当にしょうがなさすぎる。