優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

終わって欲しい

そうか、ガスを止めるのは立ち会いが必要なのか。

今日もアパートに行く準備を朝からだらだら進めて、幾多の困難を乗り越えて、いよいよ出発というところで、そういえば公共サービス止めないとだなと思ってウェブ申し込みを始めたら、「ガス停止は立ち会いが必要」、そんな一般常識を知った。きっと一度でもひとり暮らししていれば知っていることなんだろうけど、こういうことは一切夫にお任せだったから、なかなか恥ずかしい無知さだな。よく、奥さんが亡くなった後で会社勤めの旦那さんが日常生活に困る、みたいな話があるけど、私もそれだ。しかも35歳で、それだ。

そんな状況だから、今日遠路はるばるアパートまで行ったところで、また立ち合いのために近日中に行かないといけなくなるから、そんなのは嫌だなと思って、やっぱり行かなくていいか、と揺らいでいる。次にアパートに行く時は、あの思い出の部屋にお別れをするときと思っていたので、今日お別れをして、またガスの立ち合いに再訪したら、なんだか今生の別れをした友達に、また近所でバッタリ会っちゃうみたいな気まずさがある。

今生の別れか。私は、夫と今生の別れをしちゃったんだな。幸せだった自分とも今生の別れをしちゃったし、もう人生がわけのわからない状態になっちゃったな。夫が亡くなって、自分のことが嫌いになってしまったな。私のこういう面が彼を追い詰めたのかなとか、こんな考え方だからこれほどに生き急がせてしまったのかなとか、色々と考える。自分の性格とか、考え方とか、これまで良いと思っていたところとか、憎たらしい。嫌いだ、こんなやつ。それはきっと今の自分というよりも、夫が亡くなる日までの自分を思い浮かべて、その人間が嫌いと思っている。今の自分のことも嫌いになっても良いのだけど、それより今の自分は存在感がない。もしかしたら、夫がいないから、私自身が何者かわからなくなったのかもしれない。夫との関わりが、私を形作ってくれていたということなんだろう。

もうこんな経験、十分だから、終わって欲しいな。終われ終われ終われ!