優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

生きる意味 その1

これまで生きてきて、私は死にたいと思ったことはなかった。生きることと死ぬことの意味も考えたことはなかった。一度だけ、大学1年生くらいの時、寝起きに「生きることと死ぬことの意味が、わかってしまった!」というエンライトニング的な瞬間があったんだけど、起きたら内容を忘れていたから、何の役にも立たなかった。でも、なにかとんでもない秘密を知ってしまった気がして、1人でわなわなしたことを覚えている。

夫が亡くなって、初めて生きる意味がないなと思った。今の世の中はとかく自立しろとか、人に依存するなとか、たくましくなれとか言う。でも、そんな強い人ばかりじゃない世の中で、相互に幸せなら別に他者と依存しても良いと思うし、私と夫は、依存しあっていたと思う。それは、3本足のウェットスーツの中に、2人一緒に入っているような感じ。と言うとわかりにくいので、2人3脚でもいい。でも、脚だけじゃなくて、心を表す上半身も、半分くらい重なってるのが私と夫だ。

私が夫と交際を始めたのは21歳のときで、まだその時は自分が何を将来したいのか、何になりたいのか、どんな人生にしたいのか、なんにも固まっていなかった。夫と相談しながら進めた就職活動、働きだして毎晩聞いてもらった職場の出来事、単身赴任中に途切れることなく送ってもらったエール、社会人になってから挑戦した大学院。全て、夫と一緒に進めてきたこと。夫の支えが底無しのパワーになっていたもの。夫なしに、今の自分は絶対に絶対になかった。

夫がいなくなってわかったことは、私は社会でこんなことをしたい、こんな人になりたいという夢を、夫と一緒に作って、育ててきたのだなということ。側からみたら私個人の夢なのだけど、私にとっては私一人のものではなかった。夫と一緒にウエットスーツを着て、夢の舞台を2人で見上げていた。そこで突然、ライトが落ちた。隣を見るとウエットスーツは半分空っぽになり、しなしなと床にへたっている。停電の中、私は1人でそびえる舞台を見直して、なんだかしらけてしまった。私は、こんな夢、どうでもいいなと。夫との生活ありきの夢であったし、夢自体は大したことでもないし、私が一人でその環境にまた身を投じるのは、なんか違うな、と思った。あれは、人生がキラキラと明るい人の夢だったな。今の私には、それより大切だと感じることがたくさんある。別にそれらを今すぐ人生の意味にしようとは思わないのだけど。

夫は誰よりも私が成長して、活躍する姿を応援してくれていたから、私が仕事の意味や、人生の意味を失ったことは悲しむかもしれない。夫が亡くなることで、私にこういう心境の変化があることは、実は想定していなかったのかもしれない。夫がそのことをわかっていたら、もしかしたら物事は違う形で進んでいたかもしれない。

私は夫に対して日頃から感謝の気持ちを伝えていたつもりだったけど、今感じているほどの思いは、私自身、無自覚だったかもしれない。自立した一人の女性として、夫がいなくなることで、人生の意味を失ったり、一生懸命になっていた仕事をどうでもいいと思うとは、私も思っていなかった。その延長で、意味がないのは、夫がいないから。夫がいない限り、意味なんてない、だったら生きることだって嫌、なんてわかりやすくするすると考えがつながると思いもしなかった。思いもしないことは、人生でいくらでも起こる。思いもしないことは、連鎖的でもある。どこまで連鎖させるかだけは、個人の判断にかかっているのだと思う。