優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

クリスマスに泣いた話

夫にしてもらって嬉しかったことっていくらでもある。

夫はいつだって私を喜ばせようとしてくれたし、私も夫を喜ばせたいと思ってきた。

それは、こうしたら喜んでくれるかな、と想像したときに、夫だったら私のはじける笑顔、私だったら夫が驚いて喜んでくれる姿が浮かぶようなことを、いつもお互いにしたいと思っていた。その気持ちは2人の間をいつも循環していて、両手に抱えたおっきいハートを受け取っては渡して、受け取っては渡してを繰り返した。与える喜びと、与えられる喜びの両方を経験できたあの時間は、心から豊かな時間だったと思う。

私の喜ぶ姿を思い浮かべながら夫が書いてくれた手紙や、選んでくれたプレゼントは、いつだって私に舞い上がるような幸福感と、ちょっとした感動のような、切なさのような、キュッとした気持ちを感じさせてくれた。その感動が幸福感を上回ると、涙がでる。嬉しいのに、泣く、という不思議な状態になる。

夫と過ごしたクリスマスは10回以上あったけど、そんな涙が出たのは1回だけかもしれない。その日は、まだ学生だった夫のアパートに集合して、そこから有楽町に映画を見に行って、夜はイルミネーションを見にいく予定だった。お昼過ぎに夫のアパートの最寄り駅に到着すると、夫はメトロの改札前で、おうど色の和柄のどてらを着て待っていた。そう、この頃の夫は、本当に昔の学生みたいだった。その風貌を狙わずして醸し出せる人は、夫の他にあまり見たことがない。お金もないし、ブランドものだってまだ関心がなくて、なんなら足元は下駄でも履いてそうな、飾らない服装の(ちょっと変な)人だった。そんなクリスマスのロマンチックさも吹き飛ぶような出立で、夫は改札の向こうから私に手を振っていた。

そこから夫のアパートまで歩いて、なんの期待もせずにドアを開けたら、なんと部屋の中にはクリスマスのデコレーションがされていた。男子学生のどこまでも味気ない部屋の壁に、なんとも可愛い折り紙作品がいくつも貼られている。男の子と女の子の雪だるまが中心にいて、その周りをツリーや雪の結晶、杖のキャンディ、柊木の葉やベルが囲んでる。この時、私はびっくりして、嬉しくて、感動して、こんなことしてくれる彼がとてつもなく愛おしくなって、泣いた。

もちろん、ハリウッド映画にあるような美しいライトのツリーとか、赤いバラの花束とか、無数のキャンドルとかじゃない。不器用な夫がそんなことをしたら、一気に木造アパートが火事になってしまう。でも、そんなものより、何より、私はこのサプライズが一番嬉しかった。

今でもクリスマスといえば、この出来事を思い出す。

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