優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

よくある表現

よくニュースとかで、事件や事故の遺族の方が、時計の針が止まったままです、とコメントされるのを聞くけど、私の今の気持ちも、本当にその通り。夫が亡くなってからの時間は、生きてるんだけど、心ここにあらず。ひたすら夫が亡くなる前までのことを、ずーっと考えている。考えすぎて、頭の疲労を感じることもよくある。受験勉強でもそんなこと、感じなかったのに、今私は余程色々考えているんだな。

時計の針が止まるとは、どんな感覚なんだろう。暗い宇宙みたいな中で、私が独りで立っている。振り返って後ろを見れば道があるのだけど、正面を向くと、道がなくて、真っ暗闇という感じかな。目の先には道もないし、上下左右の空間が無限に闇で、その先に進む手立ては、何一つない。足下で断絶した未来を見て、もういいや、とその場で自分も暗闇に踏み切るか考えるのだけど、とりあえず様子を見ようと、その場でじっとしている。下手に動くと、道から外れて落ちてしまうから、今は過去を振り返って、何がどうなってここにたどり着いたのか、悶々と考えている。時間は、ずっとそこで止まったまま。

振り返ってこれまでの道に目をやれば、暗い道のところどころにポワッと明るい空間がある。あかりを頼りに近寄って中を覗けば、昔の夫と私が、甘く幸せな時を一緒に過ごしている。その時の2人の幸せそうな表情や、お互いへの思いやりだらけの言葉を思い出して、現在の私が、しばし記憶に浸る。そんなことを、この1ヶ月ほど、ずっと繰り返している。浸った後で、現在に戻って、「現実が信じられない」と夫がいないことがとてつもなく悲しくなることもあれば、「夫だけでなく、当時の私ももういないな」と、2人とも死んでしまったような気持ちになることもある。そして、じゃあ私は何者なんだろう、と思う。

実体として私は生きているだけに、「これからどうしよう」と頭をよぎることもある。まだ心の準備ができていないからか、その類のことは少し考えるだけで、苦しくなる。気分が悪くなったりもする。私の脳が体が、全力でそれを止めるような感覚。夫が亡くなってから、自分の意思とか、思考とか、生理反応とか、それぞれが独自の動きをしていることを実感することが頻繁にある。私自身がなんとか今ここに存在できるよう、自分の体が色々頑張っているんだなと思わされる。

死んじゃうなんて、誰も思わないよね。誰だって、最愛の人が病にかかったり、自分の力不足で死んでしまうなんて、想像もしないよね。最愛の人がいない世界って、こんなに恐ろしいことなんだなと思う。こんなことが起こったら、もう私は生きていられないかも、と思うようなことが実際に起こってしまったんだから、今はまだそのことに、ただただ圧倒されるしかない。