優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

エア・ハグ

アパートの最寄り駅に到着して、駅前のロータリーに降りた。夫と似た色のコートを着た人が、目の前を通る。夫と背格好も違うし、年齢も違う。ただ、男性で、コートの色が似てるだけ。そんな共通点がほとんどない人なのに、待ってましたとばかりに、私の目から涙が溢れる。一緒に駅前を歩いた姿を思い出す。なんで夫があんな苦しみを経験したのだろう。なんで私たちだったんだろう。なんで、死んだのが夫なのだろう。そんな思いとともに、涙がぼろぼろ落ちる。もはや、自分は男性見るだけで泣けるのかな。

アパートはもう、正真正銘、がらーんとしている。

部屋から全てを運び出したら、もう何も目に浮かぶものはないと思ったけど、からっぽになっても、変わらなかった。この部屋の間取りの、ここに座ってた。ここで2人で一緒にごはん食べた。ここで夫が料理してた。ここでぼーっと座ってた。そんなもの、家具がなくても、カーテンがなくても、全部目に浮かぶ。夫がここで一人で、朝から晩まで、苦悩してた。

こたつが置いてあった場所で、夫の定位置に今日着てきた夫のふかふかのカーディガンを置いてみた。床に置かれたカーディガンは、へなへなに平たくて、夫がいないことを伝えるだけ。全然よくなかった。次にキッチンの棚の横で、夫とよくハグした場所で、カーディガンに抱きついた。苦しいとき、困ったとき、2人でよくここでハグをした。苦しすぎて2人ともどうにかなってしまいそうだったとき、「ハグしてほしい」と夫にお願いしたら、その場でハグしてくれた。頭撫でてほしいとお願いすると、頭を撫でてくれた。あんなに苦しかったのに、夫は、私に優しさを分けてくれたんだよ。なんて、優しいんだろう。カーディガンが厚手だから、やせっぽちの夫をハグしてる感じが少しあった。カーディガンに顔をうずめて、カーディガンの両腕を、自分の肩に乗せた。なんにも意味のない行為。でも、自分が一番落ち着くのがこれだった。そのまま、カーディガンの中に顔をつっぷして、しばらく泣いた。

今、想像できないほど苦しいさなかに自分がいる。

逃げ道もなくて、挽回もできない、苦しさのどまんなか。

信じてしまったら、受け入れてしまったら、おかしくなってしまいそうな現実。

これを処理する方法なんて、本当にない。

お昼になって、区民事務所で転出届をだしてきた。途中で係りの方が私の住民票の確認をしたみたいで、なんとなく、「はあ、そういうことか」という表情を読み取ってしまった。どうせ、夫の名前の横に、死亡、とか書いてあるんでしょうね。「その人、私の中では、まだ死亡って認めてないの」って口をついて出そうになる。世の中では、その人の死亡がどんどん確定して、なんならあと数週間もしたら、去年亡くなった人になるの。いないことが決定的で、過去の人になっちゃうの。もやがかかって、いつも笑顔の人みたいな、故人感まんさいの人になっちゃうの。でも、私の中では、まだくっきりとしたカラー写真の人にしておきたいんだよ。

午後、お掃除の業者の方々、女性2人がやってきて、手際良く、丁寧に、掃除を進めてくれる。こうやって誰かと交流するの、久しぶりだな。女性って、優しいな。もう全部この人たちに、打ち明けちゃいたいな。思いっきり泣かせてもらえないかな。頼りたいな。この苦しさ、わかってほしいな。そんなこと考えながら、隣の部屋で座って、掃除が終わるのを待った。

アパートの訪問は今日が最後の最後と思ったら、郵便の転送が25日以降になるそうで、一応、あと一回くらい来ることにした。少しずつ先延ばしにすることが、自分にとっても、いいことな気がする。

最終回が、怖いな。