優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

お籠り特集

今日こそ、最後かな。アパートのクリーニングの日。朝から電車で向かう。

久しぶりの電車移動。久しぶりの街中。こんなにたくさん人がいて、こんなに平和な世界なのに、こんなに穏やかな空気なのに、夫はこの中のどこにもいないんだなと思った。いるはずの人がこの世にいないことは残酷すぎるな。

クリスマスと師走に向かうこの時期は毎年一番好きな季節だった。なにかにワクワクして、胸がときめいて、誰かに会いたい、誰かになにか贈りたい、誰かに愛と感謝を届けたい。その誰かに一番にあてはまるのが夫だった。普段から愛と感謝と高揚感だらけだった2人が、この時期は喜びと恋しさで爆発してた。年があければ、実家でなまけた猫のように伸びきった。三が日は夫とだらだらとメールしたり、電話したり、年末年始に食べたご馳走を紹介しあったり。相手が食べたがると可哀想だから、ちょっとだけ自慢。また2人で食べようねって言い合う。ポストには丁寧に書かれた夫からの年賀状が届いて、あけましておめでとう、今年もよろしくね、みんみんと2人で幸せな一年にしようね、とある。年賀状を手に持って、また夫に電話する。届いたよ、ありがとう!可愛いイラスト描いてある、気に入った、そんなリアルタイムの新年の様子を電話でつなぎながら、2人の新しい一年が始まる。そんな幸せな時間が年末年始の数週間に詰まってた。

過去10年以上あったもので、自分はこの感覚のために生まれたのかと思うほどの満ち足りた時間を手に入れたのに、その全てがなくなってしまった今、自分にかけられる言葉なんて私自身、なにも見つけられない。

ただ、物事にアンテナを張らず、殻に籠り、内なる気持ちや思い出と一緒にじっと過ごすしかない。冬が明けて春になればと思うけど、春だって、死ぬほど幸せな思い出だらけだ。春夏秋冬あるんだった。だからダメだ、出口なんてない。

雑誌のお籠り特集を単独編集で書き上げられるくらい。大切なひとを亡くした後にできるお籠り活動のリストつくろうかな。今の私なら作れるな。

家を出発したときは夫がいない世界が嫌すぎて何か行動してしまいたいと思ったけど、オザケン聴いてたら明るく笑い飛ばす元気が出てきた。ありがとう、オザケン。ありがとう、夫くん。