優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

私はだあれ?

気づけば、夫の写真を見てる。

何もしたいことがないから、ただ写真を見て、なんか胃が痛いなあって思ってる。

思い出を振り返って、「私がひどいこと言ったのは、この晩だから、その前後で夫の表情違うかな」とか、「どこから限界になっちゃったのかな」とか、写真の日付とか時間とか見ながら、1人でぐるぐる考えてる。夫だってわからないし、私だってきっとわからないこと。私がいくつかターニングポイントを挙げたら、きっとそのうちのいくつかは夫もピンときて、いくつかは特に覚えてなくて、いくつかは追加されると思う。夫から追加されるものに限って、きっと私が忘れちゃいけないほどひどいこと言ったり、やったりしてるんだよね。

実家の2階の窓で、飛び出しやすいのがあって、下がコンクリだったら、ちょっと考えちゃったりして、なんて思って、とりあえず見てみようと思ったんだけど、2重窓だから開けるのてこずって、あれ、開けにくいなオイとか思って、ようやく開いた。下を見たら、確かにコンクリだったけど、なんかしらけた。こういうスマートに進められない、しかも誰も止めに入る人も周りにいなくて、なんも切迫感ないときには、実行されないんだろうなと思う。周りでカラスとか、カアカア鳴いちゃってるし。私は、自分を試してるだけだけど、やっぱりどんどんどんどん上手く進んじゃって、周りからも騒がれたら、勢いづいて、やらないはずのことも、やっちゃうかもしれない。自分の中でドラマチックになってるその瞬間に舞台が準備されちゃうと、ね。やれたら楽だけど、やらないのは、やりたくないからかな。よくわからない。そこは自分でも、よくわからない。

その後、親に頼まれた食器洗ったり、今日の分のパンを成形しながら、朝に見てた写真を頭の中で思い返してた。とても不思議なことに、写真に映ってる夫は、確かに夫だと思う。でも、隣の女の子、この幸せがはじけて笑顔爆発って感じの子。この子が、自分と思えない。自分がこれを体験してない気がして、というか、自分はこの子じゃない気がする。

だから、思ったんだ。夫が亡くなる前からこの感覚はなんとなくあったんだけど。私はやっぱり、死んじゃったのかなって。夫が亡くなる前から、人生の苦しみが大きくなりすぎて、軌道修正が必要になってた。人生やり直さないと、夫と生きるために、あらゆる舵を切らないと、って思ってた。そんな大きな潮のさなかで、相棒の夫は、突如亡くなってしまった。夫と乗り込んだ大きな船の操縦室で、私は早く舵を切る決心をしないとと思って、ずっと立ちすくんでたのに、突然夫がいなくなり、自分1人になった。2人のときの私は、もういない。それで、次の港町で下船させられて、今、港で、突っ立ってる。私はだあれ?ここはどこ?ってその通りの状態だな。

この溢れる創作意欲を、少しは夫に活用して欲しかったもんだ。

一回死んだから、これから私は、二回目の人生を歩むのかな。