優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

私と夫以外の登場人物

夫が体調を崩してから最後の瞬間に至るまで、いくつもの闘いがあらゆるレベルで生じていた。夫個人の内面の闘い、私自身の内面の闘い、夫婦間での闘い、夫婦と周囲の闘い、そして義父母との闘いである。

最初に断っておくと、この激流のような2年間という月日を経ても、私は義父母のことは好きだ。この好きという感情は、ものすごい紆余曲折を経て、300周くらい回って、夫の死の前日に私と義父母が到達した和解によって、改めて私が自信を持って言えるようになったことである。

私は家庭環境が恵まれている。父も母も、2人ともそれぞれにわたしのロールモデルになっている。これまで成長する中で理不尽なことを感じたことはほぼなかったと思う。そりゃ、お母さんの機嫌がちょっと悪くて、なんか意味なくゲンコツ受けたな、まったく気性が荒いんだから、なんて思ったことはあったし(これも最近は体罰だからダメらしいけど)、お父さんは人の話をあんまり聞かないし、最近なんかイライラしてるなあ、なんて思うことはあった。でも、基本的に私の主体性と判断が尊重されて、信頼されて、また褒められ愛されながら成長してきたと思う。

夫の生育過程は、また全然異なる体験だったようだ。それを文字にすると批判めいた形になるし、それが意図ではないので詳細は書かない。でも、夫が絶えずお父さん・お母さんからの無償の愛と関心を求めていたのに対して、なかなかそれを実感できることは少なかったのだと思う。

人はそれぞれ弱さを抱えていて、それは父や母になったからといってすぐに解消されるものではない。そんな親自身が抱える課題が足を引っ張り合い、夫の家庭には強い息苦しさが漂っていたと思う。夫は繊細で賢くて、人知れず細部に気づく人だった。決してそれについて何か主張したり、是正したりはしないけれど、恐れたような目で本質を見抜いてしまうような能力が高かった。きっと、破裂しそうな問題が家の中にあるのに、何もないように生きようとする両親に、日々どうしようもない無力感を感じたことだろう。

一連の闘病期間を通じて私が義父母とやりとりする中で感じたのは、この人たちはとても良い人であるということである。家庭内では過激な面が多々あるのだけど、家の外では人当たりもよく、本質的にはとても優しい人たちである。ユーモアもあるし、愛だってある。悪意なんてまったくない。でも、不器用で、脆くて、苦難からは目を逸らして生きる。逸らしているうちに、得体のしれない人生の苦難から「守るべき自分」という自己愛を育てることすらできている。この悪意のない自己愛と保身に私は何度も絶望に突き落とされ、そのたびに夫が幼少期からこの家庭で直面した苦悩に思いを馳せた。

大学生となり、夫はいよいよ義父母も未知の世界に入っていく。進学、卒業、就職、独立。夫が成人してからの日々は、きっと羅針盤のない航海のような体験だったのではないか。

誰も悪意はなく、誰も誰かを傷つけようなんてしていない。むしろ誰もが純粋でうぶで優しい。そんな中で窒息しそうな苦しみが生まれ得るなんて、私は知らなかったな。