死別の悲しみ
食欲は、ある。
仕事も手につかないけど、やってはいる。
睡眠もぐっすりとれている。
今日なんかは、このあとずっと先延ばしにしていた婦人科のガン検診に行こうかなとすら考えている。
生きるための気力はあるし、今後数ヶ月で悲しみは少しずつ和らいでいくのだと思う。
でも、夫がいない世界の中で、このまま私が生きて、月日を追うごとに夫を失った痛みを和らげていくことを、私がしたいと思えない。「夫がいない世界」という枕詞がつく時点で、もう嫌になってしまった。もし、今目の前に2つボタンがあって、夫と同じ方法で私も全てを終わらせるか、終わらせないかの選択ができたら、ふとした瞬間に、突発的に終わらせる方のボタンを押す可能性もあるのではないか。そんなことをこれまで生きてきて考えたことがなかったのは、きっと私がこんな経験をしたことがなかったからだろう。
配偶者とは、こんなにも大切な存在なんだな。元はまったくの他人同士なのに、こんなにもわかりあい、通じ合い、愛しあえる奇跡。すべてを受け止めあって、すべてを赦しあえる人。そんな夢のような状態が一気にはじけてしまった喪失感は、確かにこれまで経験したことがなかった。愛とは幸せな依存関係なのだと感じる。私たちは、どこまでも相手を愛し、敬い、どっぷりと相手に身を託しながら、優しさを与え合ってきた。その半分が消えたことが苦しい。私だけ残されてしまったことが悲しい。ふたりを結んでいた緒は、突然真ん中でちぎれて、2人を循環していた栄養分は、今私から行き場をなくし、ちぎれた緒の先から滴っているよう。
後追いの方法は、調べるだけ虚しい。お金がかかったり、うまくいかなかったりする。自分が経験したのと同じ思いを、周りにさせてしまうとも思う。でも私は誰の配偶者でもない。私は独りだから、みんな耐えられるんじゃないかともよぎる。
誰か私の知らないうちに、私をあの部屋に運んでほしい。目の前に舞台を準備してほしい。夫が待っていてくれるなら、私はそちらに行ってしまいたい。一緒に行けば、また夢の続きができるんじゃないか。
ロミオとジュリエットのロミオが死んだ後に、ロミオを乗り越えて別の人と一緒になるジュリエットになりたくない。夫が亡くなってすぐは、そうなるしかないと思っていたのに、やっぱりなれない、全然なりたくない。そうなることでしか生きる意味を見出せない私は、生きたくないよ。もうどの道も行きたくない。
何もしちゃダメだって思うけど、なんか本当につらい。夫がどう思うとか、周りがどう思うとかじゃなくて、私が生きるのがつらい。