にわか女優
夫と幸せの絶頂の日々が10年以上あって、その時間が永遠だと信じてた。この2人でいれば、苦しいことも、悲しいことも、絶望だってさえ、へっちゃらだと思ってた。
今、へっちゃらじゃなくて、2人のうち1人が息絶えてしまった。
葬儀屋さんが準備してくれた遺影。大きな額に入ったものと、掌サイズのもの。
大きな遺影を抱き抱える私を見て、周りはその写真はちょっと部屋に置くのは重たいんじゃないと言ったけど、私はなんなら夫の顔写真を壁いっぱいに引き伸ばして壁紙にしたいくらいだから、全然問題ない。むしろ本物より少し小さいことが不満。あと10%くらい大きいと、実物大になるのに。
大きな額の遺影を、私は自分の部屋の勉強机で真正面に置いてる。向き合って喫茶店にでも座ってるみたい。
大きな笑顔で生き生きと笑う死んだ夫と、生きてるのに死んだような顔してる私が向き合う姿は、どこぞの映画の一場面のよう。2人の甘く恍惚とするような思い出が画面いっぱいに走馬灯のように流れたあとで、夫に先立たれた未亡人が暗い部屋で遺影の前に座ってる。また次の夫とも同じような時を過ごして、同じく先立たれる。その後、未亡人は病死、みたいな。
それ、まさに私!今なら映画監督に1カット提供できる。そこらへんの大根役者よりリアルな演技できるよ!!なんならノンフィクションに切り替えて作製すらできるよ!!
1ヶ月前は、生きてる夫と電話してた。あの時とっ捕まえてたら、こんなことにならなかった。もう嫌がられても振り解かれそうになっても死ぬまで抱きついてたらこんなことにならなかった。非力な夫は、わたしの馬力にいつも勝てなかったから。
ある時、修羅場から逃げ出す夫を力づくで追いかけて、私が馬鹿力出して家まで引き戻したとき、興奮も冷めて窓際で一息つく夫が一言、「みんみん、あれ、すごい力だね。筋トレしてんの?」って笑いながら聞いてきた。ユーモラスなんだな。こういう言葉を入れてくれるのが、ちょっとした交流だった。他の人にはわかりにくいかもしれないけど、私と夫の心が通じる瞬間だった。
今日はまた、夫がいないことが信じられない日かもしれない。今日みたいに晴れた日は、考えが楽観的になって、最期の絶望的な場面の回想が、遠くで再生されてるだけになる。とおく、遠くで。