優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

夢みがち人間の残酷

コロナで停滞している世の中だけど、私だけのことを考えれば、命拾いをしている。

もはや生きる意味を持ってない私だから、私なんかが命拾いするより、生きたいと思ってる人が生きられるコロナのない世界の方が全体最適ではあるんだけど。

この停滞した世界で、その場で浮遊しているみたいな時間。今自分が一番安定できる体勢でいることを、コロナの世界が許容してくれている感じ。コロナがなくて、当然のように毎日出社して、作り笑いして、見透かされないようにしなきゃいけなかったら、今の私は気持ちが破裂するかも。人によっては仕事で気を紛らわせられる人もいるみたいだけど、私は甘ちゃんだから、全部放っぽりだして、ぬくぬくと保養しているのがいい。

夫にもこんな空間を準備してあげられればよかった。わたしが休職して、人里離れた田舎のほったて小屋に、長期滞在でもすればよかった。何度もそういうことが頭をよぎったけど、実行はしなかった。でも、それに近いことを試みたこともあった。夫の保養先に一緒に滞在して、私はそこから仕事をした。夫との信頼関係を大幅に回復できたのはその努力が実ったから。毎食一緒に食べて会話をするうちに、次第にびっくりするほど優しい夫が顔を見せる時間もでるようになった。それはもう鬼の中から、天使がキョロっと顔を見せるくらい、心が溶けるような優しい瞬間。

でも、同時に周囲との軋轢で毎日毎日わたしは石臼で引かれているみたいに苦しかった。あの時、当事者の夫と、保護者的な立場の私で、お互いしかいないのに、お互いが背負う物が大きすぎて、これを続けたら夫が元気になるとわかっていたのに、わたしはギブアップしてしまった。あの時、助けを求めた人たちが支えてくれたら、どれだけ違う結果になっただろう。でも、夫はあれ以上頑張れなかったし、私もあれ以上頑張れなかったし、周囲の関係者もあれ以上どうこうできなかった。要は、各人が持ち合わせる思考と能力の範囲がキャパシティの限界であり、結果の限界なのだろう。その限界を突破しようとしていた私は、松岡修造並に人の可能性を信じる夢みがち人間なのだと思う。最後の最後の瞬間まで、全力で信じていたから。人には可能性しかない、と。

昨日、親と話していて、親も私も異口同音に言ったのが、夫の体調は苦しそうだったし、今後どうやって回復していけるだろうととても心配だったけど、死ぬとは思わなかった、と。夫も死を意識はしていたけど、自らそういうことをしたいと思ってはいなかった。追い込まれてそういう選択肢を取らざるを得ないことがあったら、こういう処理をしてほしい、という仮定で話されたことはある。でも、話ぶりから今日にも明日にもという様子ではなかったし、万が一なんかの理由でそういう状況が発生したら、という他者の関与を意識しての発言だった。その一押しをする他者に自分がなってしまう日がくるなんて想像してなかったし、夫も私がその一味になるなんて思っていなかっただろう。側から見れば、想定しうる帰結なのかもしれないけど、当然に見える話の中にも、当事者には想定外がいくつも重なっている。

想定外の重なりが少しでもズレてくれていたら、夫は今でもあちこちで苦労しながらも生きているだろうし、私は今でも四方八方に助けを求めてもがきながら、夫とやりあいながら、年末に向けてなんとか出口はないだろうかと奔走していたことだろう。何度もコンクリ並みの絶対絶命の壁にぶつかりながら、上を向いて壁をよじ登り、また駆け抜ける日々。夫は、もう壁にぶつかって全身骨折しているような状態だったのかもしれない。そんなボロボロになるまでに付き合わせてしまった自分が、独りよがりで、プライドと負けん気と意地で走ってきていたことを思い知らされる。私が早々に白旗を揚げることで、夫も舞台を降りる決心がついたかもしれない。あるいは、強制的にでも降ろされて、ホッと胸をなで下ろしたかもしれない。「夫の意思」と聖典のように尊重していたものが、夫の真の意思だったのか、今となってはわからない。死ぬくらいなら、意思は全無視で強制力を発揮したのにな。