虚しい
また新しい一週間がはじまってしまった。
朝起きて、夫がいないということを考えて、亡くなった直後はそれが私の存在そのものを圧倒するような絶望だったのだけど、今朝は「ああ、そうだよ、そうなんだよ」と言いながら、また何も意味のない世界に目を向けて、無力なまま体を起こす行為をした。
昔、まだ何も怖いことがなかったときに、「夫とわたし、将来どちらかが先に死んでしまうだろう。こんなに大好きな夫が先に死んだら、私はどうなってしまうだろう?」と考えたことがある。こんなに一心同体の夫がいなくなることの絶望感を想像することすらできなかった。そんな事実を受け入れられることはないと思っていた。
今、受け入れる以外に方法がなくて、あるいは受け入れなくても明らかすぎる事実があって、持ち物全てが残っているのに、使用者だけ生きていた跡さえなくなったような状態。確かにこの目の前にあるものは、夫が好きで集めていた小物や、毒のない可愛いものばかりなのに、一体本人は、どこにいってしまったのかと思いを馳せると、それは、苦しみの果てに、命を落とし、棺に入り、火葬場で焼かれ、今わたしの手元に分骨となって置かれている。この虚しさよ。もう、虚しいという言葉以外に、表現できないかもしれない。存在しないものを恋い焦がれることの虚しさはもちろん、自分が存在をかけて愛したものがこの世から消えたということが生きることの虚しさをこれでもかと伝えてくる。
今朝、実家からアパートに移動する中で、また平凡で淡々とした日常に遭遇して、この満員電車で疲れる感じとか、コンビニでクリスマスケーキの予約を始めている感じとか、その中で消費活動をする自分とか、また「どうでもいい」という言葉が浮かんだ。しばらくはこのどうでもいいスパイラルの中に引きこもるしかない。心を閉ざして、自分を癒す時間にするしかない。
夫と過ごした時間が、改めて夢のような時間に思えてきて、写真を見ても、2人のメールを読んでも、私のメールはいつもご機嫌で、楽しそうで、優しくて、明るかった。夢の中にいたんだな。夢が35歳で終わるなんて。