優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

嬉しかったこと

これまで、私と夫の関係は周りにちょっと誤解されている節があった。

それをなかなか言語化することが怖くてしていなかったけど、改めて文字に落とすならば、2人の中でもしっかり者が私で、夫は私におんぶに抱っこで頼りないと思われていたと思う。もっと言うと、私がいるから2人は成り立っていて、夫は私に依存してるばっかりに見えたと思う。事実、肩書きだけ見たらそう見えたと思うし、またちょっと話したところでも、そう感じられたと思う(笑)。でも、私の中では全然違う。夫のすごさは、お金でも名誉でもロジ能力でもない。夫のすごいところは、人そのものだ。交際する中で、私が夫の言葉に何度救われ、勇気づけられ、幸せな気持ちにしてもらったかわからない。世間から私が自信を持って強く生きているように見えたとしたら、その自信は夫がとてつもない根気と優しさで褒め称えてくれた末に持てたものだった。夫がいなかったら、私はこんなに感動と幸せではじける日々を過ごすことはなかったと思う。

確かに夫は、外でバリバリ働いて立派な役職に就いて大きな報酬を得たり、家族や友人の前で外ヅラの良い頼りがいのある旦那さんを演じることはできなかった。仕事はとても苦手だったし、口ベタのスーパーイントロバートであることに本人も悩んでいた。私にとっては最高の夫だったので、変わってほしいところなんてなかったけれど、夫がもっと正当な評価を受けてほしいな、夫にとって私が不可欠なのと同じように、私にとっても彼が不可欠なのにな、と思っていた。

そんな夫の印象は、発症後の周囲の関わり方とも少し関連していたと思う。結局のところ、みんな内向的な夫がどんな人かわからないまま、夫が突然様変わりしたので、途方にくれてしまい、離れていった。夫の闘病開始からしばらくの間、私の実家の両親はまさに夫にどう関わってよいかわからず、少し距離を置いた状態が続くことがあった。そのことで何度か私は両親と衝突して、なんで私の気持ちをわかってくれないのか、なんで夫の本当の人柄を見てくれないのかと泣いたこともあった。でも、夫が亡くなる少し前くらいから、私の両親にも変化があった。私の父は夫のためにできることをしようと、時間を作って会いにきてくれた。夫は私の父の飄々としたところが好きで、苦しいながらも自分に会いにきてくれたことが嬉しかったと思う。

今回夫が亡くなって、父は私に繰り返し夫について話を振ってくれる。父はけっこう淡泊で、あまり特定のことに長く引きずられる姿を見たことがない。そんな父が、夫の写真を一緒に見てくれたり、夫の山ほどある面白エピソードで笑ってくれたり、夫の心の中はこうだったのではないか、その時自分にもっと何ができただろうと繰り返し考えてくれている。私が泣いたときには、父もとても心を痛めて一緒にいてくれる。その様子に、これは娘である私を慰めようとしているのはもちろん、きっと父自身が夫について考えたいと思ってくれているのだろうと感じるようになった。

そんなことを無意識に思いながら、今晩夕食の後、また父と夫について話していた。いつもはけっこうあっさりと終わる会話が、今日も1時間、2時間とじっくり話をしてくれる。会話の最後に、父が言った。「お父さんは、これまで2人の関係をこれほど立体的に理解できていなかったよ。でも、こうして夫くんの写真を見たり、夫くんとみんみんのエピソードを聞くうちに、自分の娘にこんなにも大きな幸せをもたらしてくれた人なんだと、改めて感じた」と。もう姿も形もない夫に、これほどの賞賛の言葉があるだろうか。父から見れば、闘病の末とはいえ、夫は娘を置いて先に旅立ってしまった人だ。娘が毎日泣く姿を見ていれば、考え方によっては夫を批判する親もいるだろう。それなのに、父は夫の人間性を改めて見つめて、愛情を育み、また感謝の言葉を述べてくれた。

夫の良さを亡くなったあとに改めて誰かにわかってもらえること。夫が亡くなってから嬉しいことはなかったけど、今日のこの体験は、とても嬉しかった。

今晩は、夢の中で夫くんに良い報告ができそう。おやすみなさい。