優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

生まれた時点でお先は真っ暗

受け入れ難いことってあるよね。

人生は受け入れ難いことの連続だけど、そんな中で人がなぜ前向きに生きられるかって、いろんなバイアスを自分でかけて、悪いことでもよく見ようとしたり、永遠ではなくて一瞬でも歓喜したことを噛みしめたりして、なるべく自分が破滅しないための護身術をメキメキと磨いていくから。そもそも、人は生まれた時から死に向かって生きているのに、絶望しないこと自体、狂気を感じる。どれだけ頑張ったって、良い生にしたって、最終的に終わりがきて、全て消失してしまう。儚いなんて言葉では表現できないほど、生きることは空しいことなのに。それなのに虚しい存在同士の切磋琢磨、優越感、劣等感などを通じて、人間という種の内輪で何か絶対的な意味付けをして、生きて、死んでいく。認知症があるのも、必然のような気がする。死が迫り、いよいよ起死回生も難しい中で、はっきりとした意識を保つことが苦しいことだってあるだろう。

わたしは10年以上前、就職活動をしていた時に、ひたすら「意味のある仕事をしたい」と言っていた。夫はいつも、「みんみん、意味なんてない。意味なんてないよ」と言っていた。私はその退廃的な夫の発言の意図がわからなかった。なにか斜に構えているだけかと思っていた。そうやってなんだか文化人みたいなこと言って、現実世界に生きていないんだから、と思っていた。就職活動を経て、私は自称善良な人の集まりみたいな会社に就職した。みんなキラキラと未来と可能性について語る会社。巨大な格差の中で頂点に立ちながら、弱者に手を差し伸べるような事業をしている。真っ直ぐに恵まれた環境で育ってきた同僚は、疑問なくこれに邁進していて、罪はまったくない。それ自体を否定はしないのだけど、私には過去数年で見えてしまった世界を見えないフリしていないと、今の職場には居づらく感じる。表面的な「いい話」で感動できる段階を、私はもう過ぎてしまった。

こんな状態でも、今日の昼はうどんをお母さんとおばあちゃんに作った。2人とも美味しいと言ってくれた。貧乏学生だった頃、夫と連日うどんを食べた。わたしが今日作ったうどんは、まるでチェーン店のように飽きのこない、癖のない味だった。家庭料理とはちょっと違うように感じた。当時105円のうどんで生き延びたとも言える4年間の実績が凝縮された味付けだった。夕方になって、ひとしきり夫のことを思い浮かべて泣きはらした後で、今度はパンをこねはじめた。夜になって、外出している家族に、夕飯はどうするか聞いている。そう、私の頭は今食べることしかない。食は細くなり、肉はすっかり体から落ちたけど、食べることは前向きだ。夫が亡くなる数ヶ月前、わたしが歯磨きをちゃんとしているか聞いたら、「食べることだけが生きる楽しみだから、歯は大事だし、ちゃんと磨いてる」と言っていた。私も今、食べることだけが生きる楽しみだよ。今更こんなに同感できるなんて、ね。