優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

山盛りのお菓子

夫が死にたくてしょうがなかったのなら、すべては夫の意志だった、夫は楽になれたんだと解釈して、自分を慰めることもできるのだけど。

夫が亡くなる直前につめた荷物には、まだ今日も明日も楽しんで生きていくためのものがぎゅうぎゅうに詰まっていた。甘いものが大好きだった夫らしい、お菓子だらけのリュック。食べかけのバニラウエハース、シュガードーナッツ、バウムロール、ブラックサンダー、最近ハマってたビールのおつまみのナッツ。極め付けは、湯冷ましで作ったペットボトル2本。

「彼は死ぬつもりはなかったでしょうね。亡くなって一番驚いているのは、彼自身ではないでしょうか」

夫が亡くなってから話した識者から、そんなコメントを聞いた。今日にも死のうという人が、湯冷ましなんて持ち歩くわけがない。夫の死が、いかに外部からの刺激によって、本人の意図する方向とは別にするすると進んでしまったことかと、改めて突きつけられる。

夫が亡くなった翌日、警察が神妙な顔つきで遺品を出してきてくれて、次から次へとリュックからでてくるお菓子にちょっと苦笑してしまった。夫が外では一丁前に大人の顔をしながら、私の前では甘々のお菓子を小学生みたいにほくほくした顔で食べてた姿を思い出す。フッツーのスーパーにある定番お菓子を買い込んで、ちょびちょび大切そうに食べていた。学生時代、よく夫の一人暮らしの部屋に遊びに行った。ディズニーランドで夫が買いたいと言ったプーさんのクッションを、ちっちゃすぎるテーブルの前に2つ並べて座った。

大量のお菓子をお皿にだして、2人で飲み物も入れて、テレビを見ながらぱくぱく食べた。ただでさえお菓子が甘いのに、夫はさらにQooみたいな可愛いキャラクターのジュースを飲んでいた。私は、そこまでは付き合えずさっぱりしたお茶派。

夫はテレビを見ててもあんまり内容が頭に入ってなくて、私はテレビがついてると超集中する派だった。「あはははは」「なにそれ?!」「なんでー?」なんてテレビの内容にいちいち反応する私が、同調を求めて夫の方をキッと向くと、「え、どしたの?」っておどけた顔で聞いてきた。「今見てなかったの??!」「え、なになに?」って全然話が通じなかった。夫は本当に変わってたからな。その時はお菓子でも一生懸命食べてたのかなとか思ってたけど、夫は関心あるものとないものの区別がとてもはっきり分かれていたから、テレビ鑑賞はいつもちぐはぐな会話になった。そのへんてこさも含めて、全部全部大好きなのだけど。

私は夫と付き合うまで、お菓子なら洗練されたパッケージ、無添加、オーガニックとかになびいていたし、インテリアなら表参道のおしゃれなお店で買いたいと思っていた。でも、夫はもっと「そこらへんの20代」的な生活の楽しみ方を見せてくれた。わたしも自分の気取った嗜好がアホらしくなって、そうか、なんかかぶれてたな、本当に居心地がいいのはこういうのだな、なんて思った。ヨーロッパのビンデージのなんとか織りのクッションをNYのデザイナーがリメイクしました、みたいなものにワケがわからず「いいよね〜」とか口走る自分より、あっけらかんとした可愛さのプーさんの円座のクッションに座って、二人でキャッキャと楽しむ方がいい。

寒くなると夫は部屋でちゃんちゃんこを着て、わたしにもジャージを貸してくれた。夫の小さな木造アパートで2人並んでテレビを見て、もう幸せが背の丈を超えて部屋に充満してた。ぽかぽか、にこにこ、いちゃいちゃ、ほのぼの。2人でお酒を飲むようになったのは、それよりだいぶ後だったな。そんな大人になる前の、あの頃が懐かしい。あの山盛りのお菓子の前に、もう一度2人で座りたい。