優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

この状況下で働ける方がおかしい

仕事がどんどん溜まっていく。

久しぶりにがっつり会議などに出て、事案の担当者として四方八方から質問や方針の提示を求められた。これまで会議が苦痛に思ったことなんてなかったけど、他の出席者が話す問題提起や懸念がまったく頭に入らず、それでも持ち前の話術なりでなんとかそれっぽく対応した。これまでの課題に関する見解を述べて、今後の解決に向けて方向性を示して、次のToDoを約束した。でも、ToDoを話ながら、今のわたしの馬力では、全然そんなことに取り組む力ないよと思いながら、ここで約束しておいて誰がやるんだろう、私しかいないけど、担当者だから、なんて考えが右から左へテロップのように頭の中を流れた。終始とくに踏ん張って顔をつくるでもなく、私の表情は死んでたから、みんな何かは察して静かに会議は終わった。何事もなかったかのように全力で仕事に邁進するプランはやっぱいいや、やっぱその気力ないわ、と今週は放棄してしまった。また来週以降、気持ちが変わるかな。変わっても、変わらなくてもいいけど、仕事が溜まって溜まって、締め切り超過事案だらけになるのは見えてるな。そんな事案の束が重なった山のてっぺんに、自分が猫背で足伸ばして座ってる画が見える。なんにもせず、なんにも焦らず、無気力。

唯一の救いは、土曜と日曜という好きなだけ無気力になれる日が毎週2回もあることと、私自身の元来の開き直り気質から、人生でこんな悲劇起こったんだから、無気力で当たり前だろと思えていること。こんな仕事のやり方では誰々さんが怒っちゃうとか、いくらかお金が多くかかっちゃうとか、納期がちょっと延びちゃうとか、プランが崩壊しちゃうとか、もうどれもどうっでもいい。どうっっっっっっっっっでもいい。もう会社まるごと潰れても別にいい。会社のある千代田区が丸ごと沈んでも別にいい。東京に突然丸ごと隕石がぶつかってもどうでもいい。日本まるごとどっかの国に占領されて言語変わっても別にいい。日本が沈んちゃうなら、ぼーっと無気力なままライフベスト着て救命ボートに乗ると思うけど。そこで夫が命を落とした場所にたどり着いて、目の前に夫と同じ舞台が用意されたら、ストンと同じ道を選ぶと思う。

生きてても、頑張っても、何か新しい目標見つけても、新しい伴侶をみつけても、それで幸せな気持ちになったとしても、夫は帰ってこない。何をどうあがいても帰ってこないのだから、諦めて、気持ち切り替えて、前を向く。そういう順番だったっけ?あがいたら帰ってくるんじゃないの?それならいくらでもあがくんだけど。あがいて感情鈍麻させて夫を過去の人にするしかないの?