優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

亡くなったことの実感

昨晩は夜中遅くまで義父母と話をしていた。夜更けの1時も過ぎて、義父母は気力を消耗しきって就寝した。私はそれからシャワーを浴びて、お風呂を上がってから、また濡れた髪のまま、しばらく夫の部屋で過ごした。夫が体調を崩してからよく座っていた定位置に座り込んで、ここからあのドアに立つ私はどう見えていたのかなあと思い浮かべた。3時を過ぎて、眠いか眠くないかわからないまま布団に入ったら、私もいろんな感情で疲れていたみたいで、すぐに意識が飛んだ。

翌朝、7時に目が覚めた時、夫がいないんだ、という強い悲しみに襲われて、その直後に目の前に夫の姿が浮かんだ。苦しい思い出がほとんどのこのアパートでの生活の中でも、半年ほど夫の症状が消失して、2人で支え合って幸せに暮らしていた時期があった。その頃の姿のまま、朝の白く強い日差しに照らされて、グレーのあったかい毛糸のカーディガンを着た夫が、居間のこたつで少し背中を丸めて、幸せそうに座ってる。うわあー、夫だ、と思った。今ここにいるなあ、昨晩3人で夫についてたくさん話したから、来たんだなあ、と思った。「まあ、一緒に聞いとくわ」と言っているようだった。目に見えてるわけではないし、いるかいないかで言ったらいないんだけど、でも、いる。後ろから抱きつきたいなあと思う夫の姿だった。少しして、見えているような感覚が消えて、またぐっと寂しい気持ちに襲われた。

それからお昼頃まで、気づけば5時間くらい、夫について義父母とあれこれ話した。夫の経験した苦しみについて話したり、それに自分がどう向き合ったか話したのだけど、あの息苦しさはなんだったんだろう。義父母とこたつで座りながら、これ以上話すとメンタルの健康によくないなって予感があった。自分の気持ちがすごく苦しくなって、胸がつまって、息もしづらく感じて、ちょっと休憩した方がいいなと思った瞬間があった。

荷物の整理は少しずつ進めた。夫のワードローブから、夫が気に入ってよく着ていた服を取り出して、目の前で広げて3人で眺めた。「これよく着てたなあ」「よく似合ってた」義父母は遠くに住んでいるのに、けっこう夫が着ていた服を覚えていた。違いがでたのは、靴下やパンツを見たとき。夫は実家を出てもう15年ほど経っていたから、こういう消耗品は実家時代から一新されていて、義父母は初めて見るものばかり。その前に見ていたコートや上着みたいに悩ましかったものから一転、義母が靴下をリズムよく廃棄の袋に入れていく。ポンポンと放り込まれる靴下を見ながら、私には一足一足、夫が履いていた姿が思い出された。なんで靴下姿をこんなに覚えているのかわからなかったけど、私はとてつもなく悲しくなって、さりげなくその場を離れた。

昼過ぎにわたしの両親も合流して、5人でお昼を食べて、夕方には義父母が帰っていった。その後、私はアパートで泣いた。やっぱり久しぶりにアパートで過ごす時間は濃厚だった。義父母と話す中で、夫への気持ちがまた募って、夫の洋服をみてもう2度と会えないことの悲しみが一層高まった。びいびいと泣きながら、私の口からでた言葉は、会いたいよう、なんで会えないの、悲しいよお。そんな単純な言葉だった。本当に大好き、本当に悲しい、本当に会いたい。会いたい、会いたい、会いたい。