優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

夫にもらった愛、それは自分のことも好きになること

これまでずっと、私の人生って恵まれてるなあって思ってきた。

環境的にも、経済的にも、あと自分が持ってる能力や容姿にしても。飛び抜けてどうこうという話じゃなくて、劣等感や自信のなさでつぶれそうな気持ちになったことだってあるけど、それでも生き生き楽しく生きてきた時間が95%くらいなんじゃないかと思う。

でも、よく思い出すと、実は小さい頃から高校にかけては、思春期特有の揺らぎがあったし、苦しさや怒りを抱えることもあった。昨日、大学生のときに書いた自分の走り書きを見て、ハッとした。「この大学4年間で、自分のこと好きになれた!」。これって、夫のおかげなんだよね。夫がいつもいつも私のことを褒めてくれて、味方になってくれて、突き放すことを絶対しなかったから。困ったり泣いたりしてたら一緒にしょんぼりしてくれて、いつまででも隣にいてくれたから。

私の手料理が変な味でも「エッッ!美味しっ」って驚いてまで美味しがってくれたし、その後わたしがいかにまずいかをワーワー言い続けても、「美味しいのになあ、ぼくこの味好きだよぉ?」って言ってくれた。私がピクニックのお弁当をつくるのに時間かかりすぎて、予定よりも何時間も遅れて到着しても、「みんみん、お弁当つくってくれて本当に嬉しい。全然時間遅くないよ。ありがと〜❤️」って言ってくれた。私が服装決まらなかったり、髪型変になってたりして気にしてても、「全然そんなことないよ、かわいいけどなあ。ウーン、すごくかわいいのになあ」って言ってくれた。大切な親戚が亡くなったときには、本当に辛抱強く私の気持ちに耳を傾けてくれたな。私が悲しくてたくさん泣いてたら、どうしていいかわからないよぉ、って顔しながら、ずっと一緒にいてくれた。途中、手持ち無沙汰で甘いもの勧めてくれたり、美味しいのに冷めちゃうよぉ?ってコーヒー勧めてくれたり。私が「もぉ!!」って笑っちゃったりして。こんなに聞いてもらって悪いなあと言うと、「いいの、僕みんみんの話聞くの好きだから」って言ってくれた。こんな優しい人、いないよね。この優しさに感謝ばかりしていたけど、本当は夫自身が苦しいときに、同じようにしてあげたかった。私は寄り添うということをまだまだ知らない。鼓舞してばっかり、自己満。

この自己肯定感を、夫にも倍返ししたかったのに、私は自分を大肯定して、夫は自分を大否定して、2人の歴史は幕を閉じてしまった。夫は大否定しただけじゃない。しょんぼりしてるだけじゃない。泣いてるんでもない。極限まで追い詰められて、苦しみより楽になる方に足が進んでしまった。そんな経験、しないまま一生を終えることができる人だっていくらでもいる。一度は経験しても、なんらかの理由で完遂されずに生の世界に戻る人もいる。夫のように大切な人を守れず、あんな経験をさせてしまったことがとにかく悔しいし、まだまだそこに自分への問いが詰まっているように思う。

自分が犬になった気分。夫が亡くなってから、鼻をクンクンさせて、2人の思い出のどこに何があるのか、自分自身にとって気になる情報を絶えず探している。今の私は、夫が最後の1分に至った極限の苦しみと、その夫にドアの外から小芝居で圧力をかけていた自分のことを思い出してる。この絶望的な食い違いはなぜ起こってしまったのか。わたしは夫のことを馬鹿にしていた。その結果として起こった取り返しのつかない出来事。誰かに私は罰せられた方がいいな。本当に。