優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

家の傷は2人の軌跡

夫と過ごしたアパートに戻ると、あらゆる感情がこみ上げた。

夫と過ごしたアパートには良い思い出なんてないと思ってた。

ご近所からの目が怖くて、いつも目を伏せて歩いた。夫の存在をこれ以上責められたくなくて、詮索もされたくなくて、ずっと早くここから去りたいと思っていた。当然の権利としての迷惑意識と、わずかばかりの興味本位で、我が家を見つめる人々が周りにたくさんいた。彼らに私が頭を下げることで、私だけが楽になり、夫を1人悪者にしてしまう気がしていた。許されない自己中心的な態度だったと思うけど、私には夫に寄り添っていることが何よりも大事だった。結局どうしようもなくなったとき、本当は痛くもかゆくもないであろう人々に、私はひれ伏して謝った。でも、それと同時に、夫に詫び状を書いて、メールで送った。自分がしていることが、裏切り行為のように感じられたから。夫はそのメールをきっと読まないまま逝ってしまったと思う。

夫がこの世からいなくなって、いざ退去に向けて家の中の補修やクリーニングを始めると、夫がつくった部屋の中の傷さえも、夫と私が一緒に生きた証のように思えてくる。

ちょうど1年前の今頃、自宅に帰ると、夫が激情に翻弄されて生み出した傷が家に一つ、また一つと増えていく時期があった。夜、仕事の後に真っ暗な家に帰宅して灯りをつけると、家の中にものが散乱して、夫が苦しんだ跡があった。壊れた室内を前に、私は1人通勤カバンを床に置いて、ただしなしなと座り込んだ。外は真っ暗で、しーんとした静けさの中で、こんなドラマみたいな動きを自分がするもんかなと思いながら、壊れて床に散らばったものを、一つずつ手にとって眺めていた。数時間して、夫が帰宅した時には、夫も、私も、何事もないようにぽつりぽつりと会話した。私にできる限りの力で夫の苦しみを想像すると、怒りも責める気持ちも通り越して、ただ静かな悲しみに覆われた。

このアパートは、2人が経験したことのない苦しみに放り込まれながらも、貪欲にお互いの信頼を確かめあった場所。これでもかという試練に向き合いながら、お互いの愛情を試しあった場所。それまで、「みんみん大好き!」「夫くん、ラブ!!」そんな軽やかな恋心で語ってきたお互いへの気持ちを、「愛」という重たいものに変換する機会がくるなんて。でも、愛に変換しなければ乗り越えられないほど、深刻に苦しい経験だった。

夫が作った傷は、今日ほとんどが綺麗になってしまった。何度も見ては私の気持ちにずっしりと乗っかっていた家の傷。夫が回復したら、一緒に綺麗にして喜ぼうと思っていた。

ひとりできれいになった室内を見て、こんなはずじゃなかった、と思った。