優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

死別直後の過ごし方

夫が亡くなった日、病院の霊安室には夫、私、夫の両親と私の両親がいた。

 

警察に夫が検死のために引き取られて、今晩私はどこに帰るかみんなに聞かれた。

 

一人でアパートに帰ったら、尋常ではない苦しみに襲われることが目に見えていたので、移動時間は気になったものの、私は両親と実家に帰り、また翌朝早くに警察に向かうことにした。

 

大切な人が突然亡くなったあと、どこでどう過ごすかは心の癒され方に大きく影響すると思う。

 

私は子どもがいないし、実家には両親と90歳を超えた祖母がいて、三人がかりで私を支えてくれた。私から時にぽつぽつ、時に止まらずに溢れてくる夫の記憶と死の後悔に、じっくり耳を傾けてくれた。

 

私は祖母の部屋に布団を敷かせてもらって隣で寝た。最近すっかり体力が衰えていた祖母も、元気印の孫がぺしゃんこになっているのを見て奮い立ち、素朴な冗談をいくつも言ったり、いつまでも布団に寝ている私のほっぺを突いてきたりして、気にかけてくれた。

 

私はたくさん声に出して人に話して回復するタイプなので、ここで他にケアしなければならない子どもがいたら、自分の声を出せなくなって、苦しかったかもしれない。でも、それならそうで、この子のためにしっかりせねば!と力がでるのかな。

 

亡くなった翌朝だったかには、朝起きたらいても立ってもいられなくなり、ダイニングテーブルの周りを30分以上、ただぐるぐると歩き回った。夫が苦しかったとき、朝から晩まで外を延々と歩いていたことを思い出す。

 

最初の数晩は、自分の部屋にいてノートに殴り書きしてるうちに感情が止まらなくなって、遺影に向かって大声をあげて泣いた。すると私の両親が部屋に入ってきて、両側から背中をさすってくれた。あれをアパートで一人でやっていたら、気持ちがそのままつぶれたのではないかと思う。

 

このいても立ってもいられない苦しみは、私にとっては最初の3日くらいだったように思う。この後また違う形で何度もぶり返すと思うけど、経験したことのない感情だった。

 

その時、夫の苦しみがわかったと思えた瞬間があった。はっと気づいた瞬間を、本当に文章で記録しておけばよかった。これまでわかりたくてもわかりたくても同じステージに立てなかった自分が、夫を失って初めて、通じ合う感覚を覚えた。苦しみと悲しみに自分が圧倒されて、巨大な時限風船が体の中で破裂直前のような、全身で風船を受けているために、他のことに考えを回す余裕が指先くらいしかないような。この羽交い締めのような状態で、私は夫に色々な要求や交換条件を出していたのか。

 

あの時この感覚を共有して、少しでも夫に寄り添えていたら。悔しくて悲しい気持ちは尽きないな。