優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

梅雨にぴったりな気持ち

100回悲しんで、100回泣いて目が腫れて、100回後悔して、100回写真を見て愛しんで。

夫が亡くなってから、もう200日経ってるから、100回どころじゃない。少なくとも200回か。

もう何をどうしたって、夫は帰ってこないのに、頭の中が、常に、常に、たられば。あの時Aさんがこうだったら。Bさんがああだったら。Cさんがこうだったら。そして私自身が、あの時、この時、いやいやあの時も、この時も、ああだったら。こうだったら。そうしていれば、結果は違った。そのどれも間違ったことをして、この最悪の結果に至ったこと。

Aさんに腹を立てて歯軋りする日もあれば、Bさんがしたことで頭痛が止まらない日もある。考え直してAさんには何を言ったって無駄だと思う日もあれば、今度はCさんを呪いたくなる。

脳内が、ずっと戦争状態。パチンコ玉が、終わりのない芸術作品みたいに、ただ無限に怒りの壁に当り続けて、その動きを脳みそが追いかけている状態。

そのうち私は一人暮らしが始まる。音のない一人暮らしの部屋で、このパチンコ玉を頭の中に抱えていたら、私はどうなるんだろう。一体、どうなっちゃうんだろう。

一人暮らしはまだ早いかもと思うけど、実家にいる自分も、嫌だ。

家族に頼る自分が嫌だ。夫のことでいろんな気持ちが周りに対してあるのに、結局家族に頼っている自分。今、私がお世話になったら、また彼らが困っている時にお世話に走らないと自分を許せなくなる。もう、そのループから抜け出したいと思う。私が困った時、困り果てた時、私が願った通りに振り向いてくれる人は、いなかった。冷たいなと思った。みんな、自分の人生は自分でどうにかしているんだ。そういうもんなんだ。心が一つ、貧しくなってしまったなと思う。

周りからしてみれば、そんなに言うなら、あの時どうして欲しいか言ってほしかった、と言われるんだろうな。でも、困っている人は、ただでさえ周りに迷惑をかけている自覚がある。困っていることの一つが、周りに迷惑をかけていることなんだ。だから、駆け寄ってくれた人がいたとしても、遠慮して1、2程度のお願いしか発せない。迷惑をかけるから。そのたった1、2の言葉を発したときに、反論されたり、否定されたり、疑問を呈されると、その先の3、4のお願いはもう口にすることができない。困っていることを隠すことしかできない。

夫のことで苦しすぎるのに、みんなに申し訳なさすぎるのに、そんなに能動的に助けを求める力なんて、あるわけがなかった。どうして助けて欲しいのか、どうしてあなたに助けてほしいのか、そんなことを、あの孤立無援の私が、あの時言葉にして助けてくれるべきだと説得するパワーなんてなかった。

ニュースでも、人が悲しい亡くなり方をすると、「相談してくれればよかったのに・・・」と言うコメントをよく耳にする。私ですら、今でも昔の夫に対して、そう思うことがよくある。なんであの時、そんなに苦しかったのならば、それを言葉にして私に伝えてくれなかったのか、と。でも、その人が生きてる時は、たとえその状況を知ったって、知らんぷりしたのは自分。夫から見たら、私がその最たる例。そういうのを、見殺しというんだ。あとからなら、なんとでも同情できるから。

私が明日幸せな気持ちでいっぱいになることはありえないし、1年後でも、10年後でも、死ぬ間際でも、「あのときのことはしょうがなかった」、なんて思うことはない。悲観的にならないことなんてできない。後悔しないことだってできない。自分を責めることが間違っているとも思えない。夫を失った悲しみと後悔は、一生ものであり、私の一部だ。もうどうしようもない。

 

一人暮らしになったら、私は今のように会話する相手がいなくなるし、余計に閉じていってしまうのだろうか。この臆病者が、何か新しいことを始めたりするのだろうか。

去年の今頃は、自宅で梅干しをつくっていた。梅雨が明けてから、日に干して、とっても上出来のおいしい梅干しができあがった。梅の種で、クワス というサイダーも作った。じめじめした季節に、美味しいなあ!と思った。来年はもっと状況が落ち着いているといいな、梅酒だって作ってみたいし、お味噌だって作ろうかな。豆板醤も作ってみたいな。お料理教室に通いたいな。洋裁だって習ってみたいし、そういえば夫と社交ダンスだってやってみたいんだった。

そんなふうに、色々考えてたな。あの時だって、生活が破滅的な状態になっていて、とても遠い未来の夢でしかなかった。けど、今はもう、その夢さえなくなった。去年の今頃は、2人の最後の喧嘩をした。あの喧嘩をせずに、もっと私が我慢できれば、夫は今、生きていただろうか。喧嘩しながらも、夫の反応をみていた。距離を置いたように見せて、何度も夫の様子を見に行って、影から見つめていた。衝突した結果、何か良い効果がないだろうか、なんて考えていた。憎い気持ちなんて、本当に本当になかったのに。それだけは夫に信じて欲しい。私は、夫が大好きだったのに。

本当に夫には、言葉で表せないほどの、申し訳ない気持ちばっかり。

くっついていたい

辛いなあ。辛い。

この夫がいない世界で生きるということは、本当に辛い。

私と夫の会話が、私の頭の中だけで完結する。

2人の秘密ごとなら良い。でも2人じゃなくて、たった1人の思考。秘密でもなんでもない。ただ1人であるということ。1人で思い浮かべて、2人の会話にしているということ。

夫が死んでしまうなんて、私の人生は、こんな悲劇を経験することになっていたのか。

はじまりは、きっと大きいことではなかった。ある日夫の心に黒い不安がぽわんと浮かんだ。消そうと思って、私に話したり、自分で考えてみたりしたことだろう。でも、黒い不安は数日後も残っていた。日を追うごとに、その不安が、徐々に大きくなっていって、半年経った頃には、夫を覆い尽くしてしまった。その不安が、それだけの時間をかけて大きくなっていく過程で、私は夫の異変に気づいていたのに、何もしなかった。

あんなに表情がおかしかったのに。あんなに人が変わったような態度だったのに。

人生がうまくいっていないから、年齢的にも人生が面白くないから、そうなってしまったのかな、と思っていた。

私は、夫の苦悩を、軽視していたのだろうか。

夫の考えることや苦悩を、くだらないと思ったことはないから、軽視はしていないはずだ。

でも、夫がそれほど苦悩しなくて良いことで、大いに苦悩しているように思えた。

私だったら、10年かけても叶わないと思う夢を、夫は今叶っていないことがこの世の終わりと思っていた。その感覚を私は共有できなかったし、なんだかドツボにハマってるなあ、早く抜け出して頑張るしかないのになあ、と思っていた。夫がずっと憧れてきた夢なのだから、今ここで悩んでいないで、がむしゃらに頑張れば良いのに。なぜ今、諦めて、全部放り出すのだろうと思っていた。でも、後から聞けば、夫は放り出したくて放り出したのでもなく、悩んでいたという。

今なら彼の生い立ちとか、思考法とか、出会ってから一緒に歩んできた日々とか、どれだけ夫がこの夢に人生をかけていたかを思い出して、あの時より夫の苦悩をわかってあげられるだろうか。なぜ、あのタイミングで、夫の心がぷつんと切れてしまったか。そして切れた後は、現実逃避と焦りに追われて、彼が追い込まれていってしまったか。

今は夫が亡くなったから、1から10まで、全部受け入れる、全部肯定する気持ちが私の中で強い。でも、あの頃は、焦りとイライラでどんどん生きづらそうになっていく夫に、私もイライラしてしまった。夢だけじゃない。日常生活のいろんな事を担わなくなって、私への批判も多くて。それを全部暖かく包みこんで「今つらいよね、大丈夫?」なんて声をかけられる器は私にはなかった。夫を責めないことで精一杯。今は悩んでいるのだろうと思って、小言を言わないようにすることで精一杯。今更、どれだけ精一杯だったかを確認しても、保身なだけだけどね。

過去を振り返ると、後悔することとか、自分を嫌悪したくなることばかり。ずっと隣にいた者として、私の一挙一動、全てが最後に夫の死につながっていると思うから。じゃあ、もう一度同じ立場に立ったとき、私は違う行動が取れるかと考えると、多分、相当に難しい。でも、夫が死ぬくらいなら、相当難しくても、やっぱり違う行動が取れたらいいのにと思う。

雨の音を聞きながら、ただつらつらとそんなことを考えた。

「もう一度」があったなら、私は違う未来を夫に用意してあげられるだろうか。

無償の愛を無限に発揮して、這いつくばってでも、世界中を敵に回してでも、彼を守れるだろうか。

今でも、そんなことができる自信は全然ない。

でも、もし夫が生き返ることがあったなら。

せめてこんな悲しい死に方は繰り返さないよう、最良のプランを考えるだろう。

夫との再会の暁には、右手にロープを持って、泣きながら夫に駆け寄りたい。ハグするかと思いきや、瞬時に蹲み込み、夫と自分の足を並ばせて、2人の足首を強く固結びで縛りたい。そうやって、私にできることは、もう一生夫の隣を離れないことくらい。もう一生、2人3脚で歩くことくらい。

そんなことをしたら、トイレに行くのが面倒そうだけど、それくらい、くっついていたい。

自分の気持ちを持ち直せた

今日は会社とのやりとりでとても嫌な気分になって、苦しかった。多分、一番大きいものは、自己嫌悪。独り相撲感。みじめな気持ち。「もう、誰もわかってくれない」という孤独感。

今、夜の零時を過ぎて、明らかに気持ちがまた上向いた。ちょっと元気になった。

さっきのブログを書く前は、苦しくて、苦しくて、とっても息が苦しいような気持ちだったのに、なぜ転換したのかと考えてみる。

まず大きいのは、さっきのブログ投稿を書くことを通して、今日自分がどんな経験をして、何を思い、何に悲しみ、それでも1日の最後にどんな気持ちが残ったか、文字にして、書き出したこと。それを自分で読み返して、そうかそうかと、感じて、労うことができた。ここで、一度深呼吸ができた。

その後、その記事に対して、皆様のスタンプをもらったこと。それだけでふわああああと気持ちが安らいだ。こんな私のわかりにくい色んな感情が混じった記事に、目を通してもらえたこと。「もう、誰もわかってくれない」と思ってたのに、夫の死別から今まで、気にかけてくださる方がこの世界にいるということ。

そこで気づいた。私は、もう誰にもわかってもらえない、と思っていた。それは、全てをわかって、全てを包み込んで、全てを寛容してくれる夫を失ってから、私の全てを分かる人は、確かにこの世界にはいなくなってしまったから。でも、たった1人の人に、全てをわかってもらえなくても、いろんな人に、私の一部をわかってもらうことはできる。いろんな人に、いろんな一部をわかってもらえたら。それを寄せ集めたら、けっこうわかってもらえているのかもしれない。そんな風に考えたら、一部ならわかってくれる人とか、9割方わかってくれる人とか、わからないけど何度も連絡してくれる人が、たくさんいるじゃないか、と気づくことができた。自分の家族だってそう。このブログを訪れてくださる方だってそう。私の親友たちだってそう。信頼する同僚だってそう。そう考えたら、ああ、なんだか会社とのやりとりで、私はとても視野が狭くなっていたな、と思えた。ただやりとりをした1、2名の反応で、今の自分の評価とか、自分と他者の関係性を、結論づけようとしてしまった。

そのことに気づいたら、もっと明るい考えも浮かんできた。私は、この地球上の人、まだ出会っていない人の方が多いじゃないか、と思った。この世界を諦めてほっぽる前に、まだ出会っていないたくさんの人に出会えば良いじゃないか、と思った。私が日々会っているのは、自分の会社の中の、タイプの似たような人々。違う場所に身を置けば、きっと違う世界が見えて、違う人に出会えるだろう。私のこれまでの人生で考えると、きっと100人くらい会うと、1人くらいめちゃくちゃ良い人だな!!と思う人が現れる。ということは、今から1万人会えば、めちゃくちゃ良い人だと思う人が、1%の確率でいて、計100人ものめちゃくちゃ良い人の集団が生まれる。きっと、めちゃくちゃ良い人が100人いれば、夫くん0.01人分くらいの生きるパワーを私に与えてくれるかもしれない。めっちゃ計算が細かいし、めっちゃ受動的思考なんだけど、そんなことを思った。

そして更に、その後ニュース記事を読んでいて、少し勇気の出る報道があった。トヨタの社員がパワハラで自殺し、因果関係も認められ、トヨタパワハラの再発防止策を検討したとあった。トヨタが名誉をかけたであろう再発防止策は、残念ながら内容的には目新しいものが全くなく、むしろそのことにびっくりしたのだけど(どんだけ制度古かったの、と)、これからこういうパワハラへの敏感な動きは増えていくと思うし、やっぱり再発防止策を検討するという自浄作用は必要だよね、と思った。

global.toyota

トヨタの記事を読んでから、ふむふむ、私が言ってることはやっぱりおかしくないわ、当然だわ、と思い返して、自信を取り戻すことができた。そして、未来に目を向けた。

1日数回は、この人生を終わりたいなあと思う。生きる目的も、何もない。何もない中で生きることが、とても辛い。でも、周りの人のこと、例えば親とか、おばあちゃんのことを考えると、どうでもいいっちゃどうでもいいと思うこともあるけど、いやいややっぱりどうでもよくはないだろと思って、死ねないなと思う。

死ねないならば、やはり何をしようと考える。改めて、今の会社は時期を見て抜け出したいと思った。この組織には、いられない。

なーんにも縛りがない世界で、何をしようか。

そう考えたら、ワクワクの気持ちの、最初のワの前の口開くところくらいのワクワク感が生まれた。要するにほんのちょっとだけ、未来を向いた。私のつぶらな瞳が。

そんな感じで、数時間前に比べると、私の気持ちはだいぶ持ち直してくれた。

改めて、会社以外のいろんな人に、感謝の気持ちを込めて、寝ようと思う。

パワハラは違法行為だと理解しているのか

きっと私が今していることは、自分の周りの、どうでも良い人も、とても大切なはずの人も、あの人のことも、この人のことも、そんないろんな人との関係を、壊すようなことなんだろうな。

会社とパワハラの件でやりとりが続いて、また辟易としてしまった。その後で、色々自分の言動を振り返って、自分のことが嫌になった。このブログだって、その時々の私の心に浮かんだ一面をそのまま吐露しているから、知っている人が読んだら、全員傷つくだろうし、私のことを嫌ってしまうだろうな。夫が亡くなったことで、私だけでなく、いろんな人が傷ついたはずなのに、私はまだ私の周りで傷を生み出すのだろうか。

この状況になってから、自分の中の確信が前ほど持てなくなった。正当な訴えと、正当ではなく感情的な訴えの違いが、わからなくなってしまった。自分の中の考えに自信を持てないというか、全部感情的に湧き上がるものの、確度の評価をしようとすると、自虐的になってしまう。

夫の発症時期と私が受けたパワハラの時期が重なっているということ。

夫が亡くなっても尚、私がこのことを見て見ぬふりしたら、まるで夫を見捨てて会社に従属しているような気持ちになる。かといって会社にこうして訴えていると、どうしても「旦那さん亡くしてパニックしてるから」という哀れみの目で見られるのが悔しい。もう最後は開き直るしかないし、自分はそうする。そうしよう。パニックしてるとしても、言ってることは間違っていないだろう?と。

私が会社にパワハラ防止の制度改善をトップに申し入れたのが今年の1月。そこから何度か人事部にヒアリングをされたり、関係者にも聞き取りがされたらしい。パワハラを防止するために、どんな方策があり得るか。私は課題と対策の案をまとめて、人事部に提出した。そこから短期間に何度かメールの往復や面談があって、やけに急いで対応するのだなと思ったら、トップへの説明期限があったようだ。最終的に、人事部は、私の案をほぼそのままコピペして、トップへの説明資料とした。

それから、もう半年。

人事部からは、なーんにも、音沙汰がない。

「随時進捗を共有する」なんて言われていたけど、結局みんな、どうでも良いのだろう。

最近出社を再開したので、一番最初に相談したトップの方に挨拶に行こうと思った。今年の初めにメールしたとき、その方は「あなたからも直接話を聞きたいと思っている」と言ってくれたから。結局その後、トップの耳にも、いろんな人から、いろんな情報が入ったのだろう。

トップの方は、今は私に会ってくれないそうだ。

色々わかるけど、色々わからない。

物わかりがよくありたいけど、よくありたくない。

みんな口々に言う。

「みんみんさんが、少し元気になられてよかった」

そんなこと、私は言われても見当違いすぎて、しらけてしまう。

あんたに何がわかる、と。

私が会社に求めているのは再発防止の対策であって、心のケアではない。

それなのに、まるで私の訴えは、その最終成果が私の心のケアであったかのようにまとめられてしまう。

改めて考えた。私は自分の体験をベースとしつつも、パワハラを行った上司個人を吊し上げるのではなく、あくまでも議論の出口を制度改革としていた。

それは、個人を追及するよりも、制度論につなげた方が今後裨益する人が多いし、前向きな話のように思えたから。私と上司という個人の間でああだこうだと言い争うことで、自分自身がさらに傷ついたり、上司のことを傷つけるのも嫌だったから。

でも、制度論にしたことで、私個人の言い分はなくなった。原案を提供した後の、私への救済の瞬間は、制度が導入されるまでお預けとなった。介入する機会もない。

これが個別のパワハラ事案として訴えれば、私が協議の主体となり、議論に参画できる。議論の入り口と出口までの進捗を追うことができる。しかも、今日とある人に相談したところ、仮に個別のパワハラ事案として、パワハラ有無の認定を求めた場合も、認定の結果、制度改善を成果として要求することもできるという。今の私の事案は認定を求めていないために、パワハラ事案であるのかの最終的な判断を会社から得られていない。だから、ただ「夫を亡くして会社に文句を付けたくなった人」である私が申し入れた改善案となっていると思う。これは、パワハラ事案として認定を受けた上でことを進めたほうが、いろんな面で良いのかもしれない。

相談した方からは、こんな有益な助言ももらった。私からの質問で、私自身はパワハラによって自分がノイローゼ状態になったことで、夫が体調を崩していることにも気付けず、夫が病を発症したことが一番の後悔と考えているものの、外から見ればここに強い因果関係は見られず、関係のない話とされてしまうだろうか、と聞いてみた。この話をした時に、私が泣いてしまったことも関係あるのかもしれないが、その方からは「まずみんみんさんが旦那さんが亡くなったことについてカウンセリングなどを受けて、気持ちの整理を付けてから、会社の方に向き合ったほうが、そこが混ざらなくて良いかもしれない。会社は因果関係の話になるとナーバスになりうるし、それによってみんみんさんがさらに傷つくかもしれない」と。

ふんふん。これは、的確な助言で、恐らく私が耳を傾けたほうが、良いものだと思う。

このパワハラ云々の話の中に、夫が亡くなった話を入れ込む事は、私にとっては関連性の深い話であるものの、私以外の人から見たら、やっぱりちょっと共感しづらいよね。

だったら、もう正攻法のパワハラ事案としようか。

今日、私はトップの方が会ってくれないとわかり、大きく失望した。

そして、私が元気になってよかった、なんてお花畑みたいなコメントをされることに腹を立てた。改めて、合意したはずの制度改革の実施の計画を共有してくれるよう、申し入れた。合わせて、もしこのような穏便な方法では対応が進まないのであれば、個別事案として訴えることも念頭にあると伝えた。

こんなことをやっていても、頭が痛い。でも、やらなければ、悔しい。

やっぱり頭が痛くなっても闘うしかないんだ。やってて、間違いではないんだ。

2度と私のような思いをする人が生み出されないように。

 

 

NHKスペシャル「若者たちに死を選ばせない」を見た

NHKスペシャルで自殺関連の特集をやると数日前に知って、実家の居間でこれを見るべきか、否か、数日考えていた。結果、何も知らずに大河を見ていた両親は、その後その番組が9時から流れたところでギョッとしたかもしれないが、そのまま居間で見させてもらった。20分ほど経ったところで父が席を立ち、また10分ほど経って母も席を立った。まあ、いいけどね。

他のどんな番組も関心は湧かないけど、私はこういう特集は、どんな内容を流すのだろう、という少しうがった見方も含めて、見たいと思うことが多い。私は夫が亡くなった一つの事例は知っているけど、その他の事例は何も知らない。だから、私の夫の事例をどれだけ汲み取れている内容だろうか、と思って見る。そして、他の事例はどんなものなのだろう、とも思う。

見た感想。

一番自分にヒットしたのは、亡くなった人の死因が「自殺」と判断されると作成する「自殺統計原票」というものの存在を知ったこと。この調査票は、警察庁の統計資料に使われるそうで、警察には過去30万人のデータがあるそう。

自殺者数|警察庁Webサイト

この調査票では、自殺の原因が最大3つまで選べるという。ということは、警察は夫についても、一方的にこの原票を作成したのか。私に統計に使われるという前置きもなしに。夫との未来をたった数時間前に失い、病院の安置所で、夫の遺体の隣で人生最大の衝撃を受けたばかりの私に聞いた話をもとに、夫のこの原票は作成されたということになる。

そもそも、私は警察の対応には相当な不信感を持っている。夫の事案は恐らく私が法的に訴えれば、施設の過失にあたると思っている。それなのに、警察は施設側だけを交えた現場検証を行い、翌日私たちには結果だけ伝えられた。施設はあの事件の直前、私たちからの質問に対して、施設設備に関する虚偽の情報を伝えていたのに、そのことは恐らく施設側から警察に伝えられていない。現場検証に私が参加していれば、当然その直前のやりとり、最低二回は繰り返したあの問答を伝えたのに、その機会からシャットアウトされた。たかが一人が亡くなったことを、面倒な事件にしたくないという警察の思惑も感じる。

そして今回の自殺統計原票だが、「原因・動機」の選択にあたり、夫は恐らく、「健康問題」に丸をつけられたと思う。私との衝突が増えていたと伝えたので、「夫婦関係の不和」にも丸をつけられたかもしれない。でも、あの時もしあの警察の男性が私に別の部屋で聞き取りを行ってくれれば、「親子関係の不和」という項目にも彼の33年間の人生をかけて深い丸をつけただろう。そんなこと、夫の両親が隣に座っているのに、私が口にするわけがない。しかも本人が亡くなった直後である。夫が悲しむような、そんな残された者の間の恨み辛みも含めた情報を言うわけがない。

あんな風に、警察がやっつけ仕事で動揺する遺族から遺体の目の前で取っている情報が1枚の自殺統計原票となり、統計となり、この国の自殺防止対策となっていくのか。

警察の対応で覚えているのは、夫が心の病があると伝えたときに、もう聴取が終わったような表情をされたこと。私はその警察の男性のやり方を好まなかったので、よく覚えている。恐らく、「精神疾患じゃ、死ぬよね」とでも言いたいのだろうなと思った。白髪でこの道ウン十年のベテランの彼からすれば、「あー、合点」という感じなのだろう。正式な診断はされていないと伝えたが、あの時私が過去の医師に推測されたものとして口にした病名も、確定情報で書き込まれたのではなかろうか。

仮にこれで亡くなったのが未成年で、遺書もなかった場合、警察からの聞き取りに対応するのは、保護者、特に親であることが多いだろう。親が自らの口から、自殺の動機として「親子関係の不和」や「その他家族関係の不和」や「家族からのしつけ・叱責」があったと警察に対して口にすることがあるだろうか?夫の両親だったら、仮に警察に尋問されたとしても、自らは言わないと思う。隣に全てを知っている私が座って、厳しい目線を向ければ、言うかもしれないけど。これは、病院のカウンセラー に夫の病状を話すときに一度経験した。その病院は家族相談として、私と義父で訪れた。というか、義両親にあらゆる意識が1年経っても芽生えないため、義父に依頼して、一緒にきてもらった。事前に義両親には、夫の生育歴を年表にして作成してもらった。義母は当日来ないが、年表作成を通じて過去を振り返ってもらう狙いが私にはあった。その散々な育児歴を当日のカウンセラーに見せて、義父から説明してもらった。説明を聞いたあと、カウンセラーから「それで、体罰はあったんですか?」と質問された。義父は口ごもり、とぼけた表情をした。隣にいた私が「あったんじゃないんですか?」と横から言ったら、「まあ、体罰というか、殴るのはありましたよね、成績が悪い時ですけど」と言った。あの時、カウンセラーの方が、「嗚呼・・・」という顔をしていたことが忘れられない。そして、夫が亡くなるまでずっと、ことあるごとに「暴力反対!」と私に訴えていたことも忘れない。ちょっと洋服をつかんだり、制止しようとすると、暴力だと言って激しく抗議された。その背景には、家庭での暴力のトラウマがあったのだと思う。あのカウンセラーと向き合った時、私があの席にいなかったら、そんな情報だって出てこないだろう。自覚がないし、本人たちはその事象があったことすら認めてもいないのだから。

話は自殺統計原票に戻る。まとめると、私がこれについて言いたいことは、一つ。このような統計を取るのであれば、警察には真実を聞き取るつもりで聞き取りをしてほしい。統計なんてものは、いくら統計的に有意な分析が出てきたところで、元データが不正確では、なんにも意味がないのだ。このことを、警察のお偉いさんには、文春砲ならぬみんみん砲で打ち込んで訴えたい。

特に、亡くなった人に「健康問題」、更には精神疾患があった場合に、自殺の原因や動機がそれだけで説明十分であると考えないでほしい。警察には、くれぐれもそのような思考回路にならないよう、他の要因についてもしっかり聞き取りを行うよう、あのベテランの男性も含めて、内部の教育をしてほしい。少なくとも私は、他の選択肢についてあてはまるか聞かれた記憶はない。せめてあの時、「実家の家庭環境はどうだったか」と聞かれれば、事実のままに伝えただろう。もし警察が本気で自殺の原因の統計を取るつもりがあるのであれば、あんなずさんな聞き取りで一人の尊い人間の死の原因を聞き取れたつもりにならないでほしい。

今日のNスペでは、いじめを苦にした自殺がとても少ない数値になっていた。それよりも「原因不詳」の自殺が近年多いという風なストーリーであった。親がいじめの有無を検証してほしいと訴えても、結局「いじめが原因とは言えない」という検証結果が巷でこれだけ出ていることを考えると、果たしていじめ関連の統計も正しいのだろうか?という疑念を持つ。

この怒りを、行動の原動力に変えていく日が来ればよいのだけど、私はただ番組を見て悔し涙を流すことしかできなかった。今はまだ、ただ感情的に噛みつくだけなんだなあ、私は。

暇なのか、怠惰なのか、虚しいのか

毎週末同じことなので、今更書き立てることでもないのだけど、今日もまたなーんにもせずに、過ごしている。元からとても面倒くさがりで、自分のために時間を使うということに意味を見いだせないタイプなのかもしれない(頼まれたり頼られると生きがいを感じるタイプ)。夫は逆に、自分のために時間をたっぷり使うことに長けていた。本を読んだり、趣味のチャンピョンズリーグの情報を収集する時間がたくさんあると、幸せなように見えた。

自分のために時間を使うことが苦手な私は、余暇があれば、ネットに充てることが多い。ネットに若干の中毒症状があるんじゃないかと思うくらい、延々とスマホを見て過ごす。これは、夫がいる頃から同じで、ただずーっとYahooに出ているニュースやゴシップを読み続けるという行為。実生活では、会社の〇〇さんとか、ご近所の△△さんとか、ぜんっぜん関心がなくて、なんなら誰のどんな個人情報も記憶しないのに、こういうトレンドニュースを追いかけ続けるのはなぜなんだろう?何の欲なんだろう?きっと、源流は同じなんだろうけど、全てゴシップ欲なのかな。。。

私がよく、布団に入ってからもスマホを見ていたので、ある日夫から、「みんみんって、いつも夜寝るときスマホで何見てるの?」ってどストレートな質問をされたことがあったっけ。「えっ、そんなまっすぐな目で聞かないでよ!!」と子供に質問されたお母さん状態だったけど、その時ももちろんネットニュースしか見ていなくて、それを改めて言葉にして伝えるのが恥ずかしくなり、「なんにも見てないよ」というなんとも言えない返事をした。いや、あきらかに見てるよ、ネットニュースを、ただただ延々と。

今はそんな、時にアジアの純真のような質問を投げかけてくれる夫もいなくなり、私はまた、日中からずーっと、ネットを見ている。見ても全然気持ちは晴れないのに、寝っ転がる時間が多いから、ついスマホに手が伸びて、そこから、ただずーっとスワイプスワイプしている。

いや、今日について言えば、正確には、ほんの少し他のこともした。朝起きたのが10時で、朝ごはんを食べて自室に戻ってきたのが11時前。そこから12時半頃まではスワイプ地獄をしていた。そこから、iPadで絵を描いた。そうだそうだ、そんな生産的な行動があった。自分を模写して、色付けとか陰影をつけたんだった。それも1時間くらいだろうか。その後、2時からはお昼の素麺をつくった。ネギとしそを庭から取ってきて、わかめのナムルと、天かすもつけて、冷やしそうめん。それもすぐ食べ終わって、3時くらいからまたスワイプ地獄。4時半まではやっただろうか。その後30分くらい、布団を畳んで、チェストのほこりをはらって、掃除機をかけた。窓を開けて換気した。17時からは、冷やしておいた355mlのGOOSE IPAの瓶ビールを飲んだ。夫と何度も生ビールを飲んだ銘柄が、近くのヨーカドーで売っていたので、飲もうと買っておいたものだ。それからお酒で気持ちが楽になるかと思いきや、やっぱり落ちてくるので、また17時半頃から19時半まで、スワイプ地獄。もちろん、1日を通じて夫を思い浮かべて涙を流す小休憩を数回挟む。そうして、私の土曜日は、今に至る。

むしろ、一人で過ごすのに他に何するの?という感じでもある。

料理だってしたし、掃除だってしたし、絵だって練習して向上心見せたし、自分にご褒美みたいなビールだって飲んだ。それでもスッカスカの隙間時間が、あまりに多い。

向上心を持とうと思って、1ヶ月ほど前に図書館から借りたカズオ・イシグロの本は、最初の数ページ読んだだけで、(貸し出し延長もしたのに)読み進める気が起こらず、返却した。何を隠そう、読書熱が高まると良いなと思って村上春樹さんの洋書も併せて借りたけど、こちらは開きもせずに返却した。図書館が、無料でよかった。

要は、私はとてつもない面倒くさがりで、ズボラなのである。本当は散歩とか、少し気分転換に出かけたい気もするけど、着替えたり、顔を洗ったり、化粧をすることがとても面倒に感じられる上に、プライドが高いので完全なるすっぴんとかボサボサすぎる頭ではやっぱり出かけたくないのだ。

結局のところ、平日に働いていれば確かにお金はもらえるし、今後も何不自由なく暮らすことができる。でも、お金を貯めて、一体どんな日々が待ち望んでいるというのか。どんなに働いて、お金を貯めても、仕事から離れればこんな1日だ。こんなどうしようもない1日を、心の中では帰ってこない人を思いながら過ごす意味は、まだまったくわからないのである。

 

消失とは2度目の死

自宅で仕事をしていて、ふと横を向いた瞬間に夫の写真が目に入ることがある。夫の笑顔が文字通りまぶしすぎて、すぐ目をそらしてしまうのだけど、逸らした先には、夫からもらった黒目がちのマスコットたちが所狭しと並んでいる。彼らがうるうるの目で、不安な顔をした私を見ていることに気づく。この夫とマスコットたちの合わせ技で、私はいつも現実を思い知る。一体、どれほど悲しい世界にいるんだろう、と。

半年経っても、大丈夫なわけはなくて、悲しみが薄れるわけもない。これでよかったとも、しょうがなかったとも思えるわけがない。ただ、気を紛らわすのが上手になっただけ。去年の今頃、というと、まだ夫が生きている時期にあたる。そう言えるのも、もうあと半年を切ってしまった。あの愛しい人と過ごした時間が、どんどん、どんどん、私から遠ざかっていく。何も解決せずに。何もわかりあえずに。何も挽回できず、ただ永遠に眠った夫と、私。もう、残るは私が眠りにつくだけで、そこから先は、2人とも永遠の眠りについた世界。2人が会えること、話せることは、ない。あんなに通じ合う合図とか、好きなフレーズとか、笑い合ったギャグとか、大切ないろんなことを、わかちあえることは、もうない。なんて、悲しいことなのだろうと思う。

安易に比べるものではないけど、夫は私にとって、誰よりも、この宇宙の中の誰よりも、最後の最後まで、一緒に手を取って、生きていきたい人だった。そうやって人生の最後まで一緒にいたいと思える人が、死んでしまったということ。他の誰であっても、1日や2日、連絡を取らないことはなんということはない。一週間に一度、連絡をとれば十分な人がほとんどだ。夫とは、そうではなかった。気持ちが、くっついていた。死別とは、そのくっついた気持ちを、無理やりに引き剥がしていく作業。引き剥がして、傷口はズタズタだ。2つに分かれた気持ちのうち、私の気持ちは生きている。夫の気持ちは、もう死んでしまった。私を愛しいと思ってくれた心、私を可愛いと思ってくれた心、私にみんみんは本当に良い人、本当に優しいっていってくれたあの心は、もう生命を失ってしまった。私たちはまだまだ、まだまだ、全部これからだったのに。

夫の魂が生き続けているとか、夫は見えないだけで近くにいてくれているとか、私はあんまり、思えないみたいだ。夫は、終わってしまった、消えてしまった、もう、無に還ってしまった、そんな風に最近思う。もともと、夫の死を実感できないと言っていた私だけど、今はその実感を通り越して、夫が気化してしまったような、そんな全てが終わった気持ちをよく感じる。そう思うことは残酷だし、夫の霊がもしいたら、悲しむかもしれない。でも、霊がいたらいたで、良いのだろう。ただ実感として、こうして一人でシーンと静まった部屋にいると、本当に全てが終わり、夫は消失したのだなと思う。

今、私は36歳。この後20年、30年、もっともっと年数が過ぎて、80歳とか、90歳くらいになったとき、私は一体どんな心持ちで夫の写真を見るのだろう。こんなに素晴らしい人が人生にいたことを、これからずーっと長い時間、痛みとして抱えて生きるなんて。そして写真で見る夫は、いつまでも若々しく、私の心を突き動かし続けるだろう。私がこの写真を見て、心が動かなくなるわけがない。あまりに本能を突いてくるから。いっそのこと、全部忘れてしまいたい。あんなに大好きで、大好きで、仕方ないほど好きな人がいたということを。