優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

自分が死んだら思われたいこと、思われたくないこと

わたしが夫の立場だったら、今頃夫にどんな気持ちでいて欲しいかな。

◆思って欲しいこと

・好き好き会いたい、死ぬほどみんみんに会いたいと泣いて欲しい

・ああいうところ好きだったな、ああいうところ可愛かったな、ああいうところが愛しかったなと私のよいところをたくさん思い出してほしい

・みんみんは本当によくがんばった、まったく恥じない生き方だったと称えてほしい

◆思って欲しくないこと

・僕のせいでこうなってしまった

・僕は苦しむべきだ

・僕がみんみんを不幸にさせてしまった

・僕が〇〇したばっかりに

 

うん、やっぱり夫が自分を責めてる姿をわたしが幽霊で見てたら、「もーしっかりしなさいよっ!!泣きたいのあんたじゃなくて私だよ?!何悲劇のヒロインみたいになってんの?!苦しんだの私なんだけど!もっと私のこと褒めろ!口開けば僕僕ばっかり言って、文章の主語いちいち自分にしてんじゃねーよ!!!!」って思うな。

そう、この物語の主語は私じゃない。私が感傷に浸っているのはただの自分可愛がりだ。

ここ数日、夫を死に追いやってしまったことや、夫に未曾有の絶望と恐怖を味わわせてしまったこと、自分にとって一番大切な人に、一番経験してほしくないことを経験させた原因が自分にあることについて、ずっと考えていた。あまりにショッキングな出来事と光景で、そのことに私の視界がズームインしてる感じ。死別には事故死、病死、突然死、色々あるけど、わたしは他の死別の方々のように、切り替えて前向く権利もないのではないかと自分を責め出していた。でも、きっときっと、私自身を悪魔の化身のように考える必要もきっとないんだと思う。

もし同じことが私に起こっていたら、私を死に追い込んだ夫に、悪意はみじんもないことはわかる。すべては私のために、あの手この手で自分を犠牲にしてボロボロになっても支えようとしてくれていたとわかる。亡くなる半年ほど前に夫と交わした会話を思い出す。もうすでに人生の苦難とも言えるボディブローを2人で受け続けた後の、今年6月の記念日の会話。

「もう出会って14年だね」と私が言うと、「これだけ色々あっても、一緒にいるね」と夫が笑った。ものすごい苦しみのど真ん中に2人でいたけど、それでも好きな気持ちに変わりはなかった。夫の中には、きっと常に世間への後ろめたさや、私を落胆させている気持ちがあったのだろうけど、本当に深いところでは、私の夫への気持ちが微塵も変わらないことは、きっとわかってくれていたんじゃないだろうか。それよりも、夫が苦しかったのは、きっといつか元気になると、希望と期待を持って立ち上がる私の明るさかもしれない。荒波の途中で、ふと静かな海のような時間が訪れて、一緒に喫茶店でカウンターに座っていたとき、私が何かで嬉しくて笑っていたら、夫がじっと私を隣で見ているのを感じたことがあった。夫は胸を痛めていたのかもしれない。もう僕は、その期待に応えることはできないよ、と。

まだまだ自分への問いは続くな。なんといっても、夫がこの世からいなくなって、まだ1週間ちょっとしか経っていないのだから。

夫にもらった愛、それは自分のことも好きになること

これまでずっと、私の人生って恵まれてるなあって思ってきた。

環境的にも、経済的にも、あと自分が持ってる能力や容姿にしても。飛び抜けてどうこうという話じゃなくて、劣等感や自信のなさでつぶれそうな気持ちになったことだってあるけど、それでも生き生き楽しく生きてきた時間が95%くらいなんじゃないかと思う。

でも、よく思い出すと、実は小さい頃から高校にかけては、思春期特有の揺らぎがあったし、苦しさや怒りを抱えることもあった。昨日、大学生のときに書いた自分の走り書きを見て、ハッとした。「この大学4年間で、自分のこと好きになれた!」。これって、夫のおかげなんだよね。夫がいつもいつも私のことを褒めてくれて、味方になってくれて、突き放すことを絶対しなかったから。困ったり泣いたりしてたら一緒にしょんぼりしてくれて、いつまででも隣にいてくれたから。

私の手料理が変な味でも「エッッ!美味しっ」って驚いてまで美味しがってくれたし、その後わたしがいかにまずいかをワーワー言い続けても、「美味しいのになあ、ぼくこの味好きだよぉ?」って言ってくれた。私がピクニックのお弁当をつくるのに時間かかりすぎて、予定よりも何時間も遅れて到着しても、「みんみん、お弁当つくってくれて本当に嬉しい。全然時間遅くないよ。ありがと〜❤️」って言ってくれた。私が服装決まらなかったり、髪型変になってたりして気にしてても、「全然そんなことないよ、かわいいけどなあ。ウーン、すごくかわいいのになあ」って言ってくれた。大切な親戚が亡くなったときには、本当に辛抱強く私の気持ちに耳を傾けてくれたな。私が悲しくてたくさん泣いてたら、どうしていいかわからないよぉ、って顔しながら、ずっと一緒にいてくれた。途中、手持ち無沙汰で甘いもの勧めてくれたり、美味しいのに冷めちゃうよぉ?ってコーヒー勧めてくれたり。私が「もぉ!!」って笑っちゃったりして。こんなに聞いてもらって悪いなあと言うと、「いいの、僕みんみんの話聞くの好きだから」って言ってくれた。こんな優しい人、いないよね。この優しさに感謝ばかりしていたけど、本当は夫自身が苦しいときに、同じようにしてあげたかった。私は寄り添うということをまだまだ知らない。鼓舞してばっかり、自己満。

この自己肯定感を、夫にも倍返ししたかったのに、私は自分を大肯定して、夫は自分を大否定して、2人の歴史は幕を閉じてしまった。夫は大否定しただけじゃない。しょんぼりしてるだけじゃない。泣いてるんでもない。極限まで追い詰められて、苦しみより楽になる方に足が進んでしまった。そんな経験、しないまま一生を終えることができる人だっていくらでもいる。一度は経験しても、なんらかの理由で完遂されずに生の世界に戻る人もいる。夫のように大切な人を守れず、あんな経験をさせてしまったことがとにかく悔しいし、まだまだそこに自分への問いが詰まっているように思う。

自分が犬になった気分。夫が亡くなってから、鼻をクンクンさせて、2人の思い出のどこに何があるのか、自分自身にとって気になる情報を絶えず探している。今の私は、夫が最後の1分に至った極限の苦しみと、その夫にドアの外から小芝居で圧力をかけていた自分のことを思い出してる。この絶望的な食い違いはなぜ起こってしまったのか。わたしは夫のことを馬鹿にしていた。その結果として起こった取り返しのつかない出来事。誰かに私は罰せられた方がいいな。本当に。

夫について聞かれたときの答え方

今週仕事を再開すると、本当にいろんな人から色々聞かれそう。

ここしばらくとても心配してくれる先輩がいて、何度かメッセージをもらったのだけど、ちょうど夫が亡くなった直後だったのでなんとも返信できずにいた。

そうしたら、先輩は別の先輩から夫の最近の体調について情報を取り付けてしまい、夫くん大丈夫?大変だね?と連絡してきてくれた。そのリサーチ能力、もうちょっと抑えて〜!と思うけど、大好きな先輩でもある。

亡くなったとすぐに言えないのはなんでだろう?

いくつもの理由で言えない。

自分の親友にはすぐ伝えた。親友はどこまでも信頼しているし、広がることの心配がまったくないから。

でも、会社の人に言いたくないのは、やっぱり広がっていくから。

噂話になったり、自分が知らないところで尾鰭がついて話しが広がるのが耐えられないから。全然先輩がそんな人だと言いたいわけじゃなくて、むしろ亡くなっていなければ、伝えて相談していたと思う。でも、今こうして終わってしまった話しについては、相談することもできない。先輩は交友関係も広いし、これだけの話題性がある話しは、何かの時にポロッと悪気なく出てしまうように思う。

でも、同期はどうだろう?同期の中には心の病で苦しんでいる人もいて、これまでたくさん夫についても話してきた。いつも勇気づけられる言葉や、安心させられる言葉をお互いにかけあってきたんだけど、この同期にはまた別の意味で伝えることが憚られる。サクセスストーリーで上を向いて欲しいのに、私と夫の悲劇を伝えることなんてできない。

その他にも、数ヶ月に一回ランチに誘ってくれたりしながら、いつも気にかけてくれた人もいる。そういう人に、旦那さんどうしてる?って聞かれたら、一体なんて答えたら良いのだろう。答えられないよ、亡くなったなんて。しかも心の苦しみを抱えていたことを知っている人には、まず自死だと推測されてしまう。でも、夫が自死であると私自身納得していないし、そもそも亡くなったことを悲しまれることすら苦痛に感じる。だって、誰も夫を知らないもの。

いつも正直であまり繕わない私が、こんなことで悩むとは。

生きたままのことにしてもとても違和感があるけど、離婚したことにもしたくない。だって、大好きなんだから離婚なんて全然したくない。むしろ一緒に棺に入って2人で焼かれたかった。

じゃあ病死は?心不全とか?あんな若くて健康体なのに?事故死?でも事故死は意味深な感じがする?しかも何より嘘っぽいよね。

もうなんでもどうでもいいけど、もういないんじゃボケ!!!!!!って逆ギレするか。

ああ、どうしよう。もうコロナで一生在宅勤務にしてほしい。5年くらいひきこもる。また明日以降考えよう。まあ、聞かれても「なんとかやってます」で生きてることにしとくのかな。いや、やっぱ無理ある。どうしよう。もうわからない。

ぽっかり空いた穴

心にぽっかり穴があいた、なんて表現、誰が思いついたのだろう。

 

夫が使っていたケータイ、夫が丁寧に畳んでしまっていた靴下、下着、Tシャツ、愛用していたマグ、一緒に買ったメガネ、小さく可愛い文字で書いたメモ、そのどれを見ても、これからおじいちゃんおばあちゃんになるまで一緒に過ごすと思っていた持ち主がこの世から消えていることに、愕然として、呆然として、「心にぽっかり穴が空いた」ように感じる。

 

夫がこの世にいないということが信じられない。

夫がこの世からいなくなった方法が、あれほどに凄惨な方法であったことが信じられない。

私が隣にいながら、夫の生涯をこんな形で終わらせてしまったことが信じられない。

ぜんぶ全部、信じられなくて、まだ受け入れてもいない。

闘病の2年間も去ることながら、終焉の場面は闘病期からもある種断絶されて、まったくもって信じ難いほどの衝撃性を備えている。

わたしはそんな衝撃的な事象を目の前で見たことは人生で一度もなかったし、その犠牲となったのが自分の愛する人であった、ということは、人生で抱えていくにはあまりに重たくむごい事実だ。

これを受け止めて、理解して、咀嚼していきたい。感受性のアンテナに緩衝材でも巻かれているような今の状態を抜け出して、もっと自分の肌で、全身で、起こってしまったことを体感したい。まるでカービィが目の前のアイテムを吸い込むように、私もあの時の全てを吸い込んで、飲み込んでしまいたい。切り離したかった初日から、吸い込みたいとまで思う今日まで、本当に真反対のことを思う自分が不思議でならない。

 

家の傷は2人の軌跡

夫と過ごしたアパートに戻ると、あらゆる感情がこみ上げた。

夫と過ごしたアパートには良い思い出なんてないと思ってた。

ご近所からの目が怖くて、いつも目を伏せて歩いた。夫の存在をこれ以上責められたくなくて、詮索もされたくなくて、ずっと早くここから去りたいと思っていた。当然の権利としての迷惑意識と、わずかばかりの興味本位で、我が家を見つめる人々が周りにたくさんいた。彼らに私が頭を下げることで、私だけが楽になり、夫を1人悪者にしてしまう気がしていた。許されない自己中心的な態度だったと思うけど、私には夫に寄り添っていることが何よりも大事だった。結局どうしようもなくなったとき、本当は痛くもかゆくもないであろう人々に、私はひれ伏して謝った。でも、それと同時に、夫に詫び状を書いて、メールで送った。自分がしていることが、裏切り行為のように感じられたから。夫はそのメールをきっと読まないまま逝ってしまったと思う。

夫がこの世からいなくなって、いざ退去に向けて家の中の補修やクリーニングを始めると、夫がつくった部屋の中の傷さえも、夫と私が一緒に生きた証のように思えてくる。

ちょうど1年前の今頃、自宅に帰ると、夫が激情に翻弄されて生み出した傷が家に一つ、また一つと増えていく時期があった。夜、仕事の後に真っ暗な家に帰宅して灯りをつけると、家の中にものが散乱して、夫が苦しんだ跡があった。壊れた室内を前に、私は1人通勤カバンを床に置いて、ただしなしなと座り込んだ。外は真っ暗で、しーんとした静けさの中で、こんなドラマみたいな動きを自分がするもんかなと思いながら、壊れて床に散らばったものを、一つずつ手にとって眺めていた。数時間して、夫が帰宅した時には、夫も、私も、何事もないようにぽつりぽつりと会話した。私にできる限りの力で夫の苦しみを想像すると、怒りも責める気持ちも通り越して、ただ静かな悲しみに覆われた。

このアパートは、2人が経験したことのない苦しみに放り込まれながらも、貪欲にお互いの信頼を確かめあった場所。これでもかという試練に向き合いながら、お互いの愛情を試しあった場所。それまで、「みんみん大好き!」「夫くん、ラブ!!」そんな軽やかな恋心で語ってきたお互いへの気持ちを、「愛」という重たいものに変換する機会がくるなんて。でも、愛に変換しなければ乗り越えられないほど、深刻に苦しい経験だった。

夫が作った傷は、今日ほとんどが綺麗になってしまった。何度も見ては私の気持ちにずっしりと乗っかっていた家の傷。夫が回復したら、一緒に綺麗にして喜ぼうと思っていた。

ひとりできれいになった室内を見て、こんなはずじゃなかった、と思った。

 

 

絶望と自分

絶望の底にいる時に、「きっと数年立てば、この闇も明けるだろう」なんてゆったり構えられる人はいない。その中で感じる絶望だけが自分にとって真実で、目前に無限の暗闇が広がる。そんな真っ暗闇の中にいる自分に対して、「きっといつか世界が明るくなるよ」なんて言われても、話が噛み合わなさすぎてムキになって全否定するか、残念な奴と思って相手にしないしかない。要するに、何をどう頑張っても、自分の人生がまた上向きになることなんて絶対にない。何より、自分は人生を上向きにさせる権利すら失ったと考える。そう99.99999%思っているのだけど、心のどこかでこの信念を破壊してくれることを相手に期待している。それなのに、大抵の人は話が下手くそで、魂もこもってなくて、虚栄心や自尊心から上擦った声で虚しい言葉をかけてくる。これには自分の信念の方がその正当性と迫力で圧勝してしまい、自分のこころの氷河を溶かしてくれない相手のポンコツ具合に激しい怒りがこみあげる。絶望とは、深い深い悲しみと合わせて、猛烈な怒りのエネルギーも備えているように思う。それは、自分への失望でもあるし、周囲への失望でもあるのではないか。

 

自分が闇の中にいるときにはそんな考えが浮かぶのだけど、より一般論で考えた場合には私の見方も変わってくる。果たして自由意志を持った個人に、一生抜け出し得ない、絶対的な闇なんて、あるのだろうか。黒い絵具だって自分が少し体勢を変えると光の反射で真っ白に見えたり、流水で薄めれば黒からグレー、薄いグレー、そしていつしか限りなく無色に近くなるように、物事が循環しているこの世の中では、確たる事実とは良い意味でも、悪い意味でもあまりないのではないか。

 

仮にそうだとしても。問題は、この闇を抜け出すための段階的変化が、いつどういったきっかけで始まるのか、当人にも、周囲にも、まったくわからないことだ。その変化が生じるためには、当人にとって何らか主体的で直感的な転機が不可欠だと思う。それは大胆な転機じゃなくて、他の誰も気づかないくらいの微々たる変化でも良いが、最も小さい単位でも良いので、何らかの「意味」を当人にとってもたらしてくれると良い。それは、その人の努力で起こるものでもなくて、ちょっとした気の緩み、弛緩から入り込んできてくれる感情なのかもしれない。

 

それは無理解の他者から「諦めて受け入れろ」とか、「周りに自分の弱さを認めろ」とか、「気持ち切り替えてやり直せ」なんて言われて服従して生み出す変化とは全く違う。人が絶望するのは、自分がこれまで生きてきた人生の舞台から退かざるを得ない窮地に押し込まれ、あるいは一縷の自尊心で唯一しがみついている自負と現実の間になおギャップが広がることに悶え苦しむからだと思う。ここでは、現実の受け入れとか、現実を踏まえた人生の妥協のような解決策は、なんの助けにもならない。むしろそれができるのであれば、最初から苦悩なんて存在せず、自分の能力や可能性をどんどん放棄しても人はニコニコしていられるだろう。

 

私の関心は、今自分自身の絶望もさることながら、夫が抱えていた絶望にあるように思う。夫が抱えた絶望はどんなもので、夫はどんな心理状態にあったのか。どうしたら、夫にあと少しでも希望の光を感じてもらうことができただろうか。他者である私に、できることはあったのだろうか、それとも、本質的にはなかったのだろうか。これから私が一生をかけて夫のことを考えるにしても、この先誰かに寄り添うことがまたあったとしても、今私が経験していることは、未熟な私が夫の境地に近づく一生に一回の機会なのだと思う。それは、夫が隣で苦しんでる時に、私がどれだけもがき苦しんでもたどり着けなかった境地。本当の苦しみにある人は、どんな気持ちにあるのかという、経験した人にしかわからないであろうもの。これを知りたかった。この気持ちを私が知っていたら、また全く異なる言葉を夫に渡すことができたかもしれない。あるいは、まったく一言も発さなくても、私の存在そのものがもっと静かで深くて穏やかな安心感につながったかもしれない。私の躍動感やエネルギーでは支えられない、心に傷を負った人に本当に寄り添う方法があったのかもしれない。

 

夫に会いたい。

幸せの形

今週は夫の両親が夫の遺品整理のためにやってくる。

遺品整理というと大変に聞こえるけど、夫の部屋に並べられた箱に丁寧につめられたものを3人で取り出して、夫が込めた思いを一つ一つ見て、夫について話す時間になるんだろうな。きっとそれぞれの品物についてこれからどうするとか、どこに送るとか、そんなことは3人の中で誰も決められないんじゃないかな。

 

夫が亡くなってすぐは、3人で集まって慰めあえればと思っていたけど、だんだん亡くなった実感が湧いてくる中で、最初の亡くなって寂しいという感情から、悲しみが強くなってきた。夫の両親が泊まりに来た晩に、悲しみの深淵に3人でどんどん落ちていってしまったらどうしようとも思う。夜も更けて3人でどん底すぎて苦しい時間になって、誰も抜け出す体力がないかもしれない。そんな時は、ちょっと遺品整理は一休みして、テレビ見て軽く夫のことを話ながら一緒に時間を過ごすだけでもいいんだよね。

 

今朝は、用事があって親に連れられて外出した。昨晩から今朝にかけての悲観的な気持ちから一転、ぽかぽか陽気で外に出ると、街にはいろんな人生を背負いながらもカップルや家族で出かける人々がいて、この多様な幸せの形のどれかに、私も夫とたどり着けたんじゃないかなんて感じる。家の近くのドトールに入って、コーヒーを入れてもらう時間を待つ間、夫とどんな試練があったとしても、今ここで一緒にコーヒーの香りを吸い込んでいたら、ふっと幸せを感じられたんじゃないかなんて思う。あの猛烈な感情の乱高下から夫が解放されていれば、たとえ絶望の中にいたとしても、ちょっとした人の温かさや、私と分かち合う何かで、今の私のように、苦しい気持ちの時もあれば、もっと視界が明るく開けて感じられる時間も作り出せたんじゃないか。

 

そんなことも、こんなことも、もうその本人がいないから、考えても悔やんでも、なにもかも意味がない。