優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

やっぱり朝もつらい

朝起きたときに感じるこの直球の悲しみってなんなんだろう。

寝起きで気持ちが混乱してるのかなと思う反面、本当の感情はこっちで、ただ日中は理性でなんとかカモフラージュしてやりくりしてるのかなとも思う。

今日の悲しみは、夫を苦悩したまま死なせてしまったことについて。

どんな闘病もそうだよね。最後くらい心が明るくなったり、痛みが取れたり、苦しみから解放されてほしいよね。でも、苦しいから死に向かうのであって、楽になってたら死なないわけで。

夫が最後の2年間に浮かべていた苦悶の表情を、そのままにして隣で「頑張れ、頑張れ!」と言わんばかりの応援をしていたことが、急にすごく残酷なことだった気がして、だからといってどうすればよかったという答えも見つからなくて。その苦しみを全身に抱えたまま、あるいはもしかしたら思考も大いに混乱したまま、夫にはあまりに短い生涯を閉じさせてしまった。自我が混乱したまま死ぬということは、なんと残酷なことなのだろう。なんと可哀想な経験をさせてしまったのだろう。今日の私の朝は、そのことの悲しさが突き抜けて頭に響いてきた。夫はいつも「早くこれが終わればいいのに」と言っていた。「いつまでやってんの?」とも言っていた。その言葉が、私にとっては救いだった。この異常事態が一過性で、必ず抜け出せるという意識を持ってくれている希望と捉えていた。それなのに、こんな終わり方だなんて、本人も希望とは全く違うと思う。夫に希死念慮はなかったと思う。殺してくれ、とか終わればいいとかは言ったけど、「死にたい」とは言わなかった。それは明確に違うと思う。私だって、今死ねたらいいなとか、日本まるごと沈めばいいなとか思うけど、死にたいとは言えない。だって、死にたくはないから。

夫の心の苦しみを未然に防ぐために、わたしには何ができたのだろう。過去を振り返れば、夫にとってこの世の中がとてつもなく生きにくくて、でもその生きづらさを実感したのはおそらく夫自身が社会人になってからだと思う。夫には嫌な環境からなるべく離れて、本人が頑張りたい分野で頑張れるよう、心から応援してきた。夫が幸せになることが私の幸せでもあった。そのメッセージは夫に十分伝わっていたと思うけど、それが思ったようにいかなかったときに、夫はその事実をうまく処理しきれなかったように思う。私は、結果がなんであれ何も評価も軽蔑もしないし、あなたの頑張りだけを見ていたのに。それだけは、心に誓って真実だと言えるよ。私は、夢を持って突き進むあなたが好きだった。それはたとえ失敗したり、夢を諦めたり、その後ひどく落ち込んだとしても、とにかくチャレンジしたあなたそのものに感動していた。結果なんて、1等でも、ビリけつでも、正直あなたに対する私の気持ちはなんにも変わらなかった。不思議だけど、そういうもんなんだね。

人生が軌道修正を必要とするほど、どこからか猛烈に苦しくなっていくことを、交際から数年、いや、結婚から数年は、気づくことさえできなかった。それは夫が今も生きていたとして、その後の未来について語る場合にも同じかもしれない。この後だって、きっとこれまで以上に苦しいことがいくつもあって、2人が穏やかで幸せな時間を享受するのは、何十年も後だったかもしれないとも思う。そのことに薄々気づいていたわたしは、夫をすぐに医療に乗せて審判のようなものを受け止めさせるのは、あまりに本人にとって苦しいことだと思っていた。本人の気持ちが整い、心の準備ができるまで待ちたい、その気持ちが何よりも私は強かった。

でも、今は全ての結果が通知表並みの簡潔さで目の前に置かれているような状況で、そこから遡って過去の自分の行いを見てしまう。こうなるくらいならば、あの時こうしていた、というその時本来は取り得なかった選択肢が頭に浮かんでしまう。

考えることがありすぎる

何もしてないのに毎日すごく眠たくて、朝も結構遅くまで寝てるし、夜も布団でコロリと眠ってる。同じような境遇にあった人のブログにたくさんパワーをもらってるけど、亡くなった直後の記事を読むと、ほとんどの方は不眠になる時期があるみたい。今くーかー寝てる私は、悲しみで日中パワーを消耗して、夜は充電する方式をとっているのかな。考えて考えて、たくさんの思いを文字に落としながら、夜はシャットダウンしたように眠ってる。よく寝ているからなのか、夫に見限られているのか、夢なんて見てないように思う。でも今夢に出られたら、やっぱり悲しすぎる。

一方で、自分はまだどこかで実感が湧いてないのかなとも思う。2年間の闘病期間中、元の夫の人柄が見えなくなる時間も多くて、今となってはかなり長い間、本来の夫に会っていない気もする。過去2年間は、目の前の感情に揺さぶられて苦しむ人が夫だと思ってきたけど、それを夫本来の姿と捉えるのも違和感があって、そのところの整理や定義づけは自分の中でできていない。亡くした相手が誰だったのか、自分の中でバグが起こっている感じ。でも、本来の優しくてあどけなくて誠実な夫の写真を見つめていると、写真の中の人は自分にとってとてつもなく大切な人で、この人がいなくなったんだと思うと、自分の中で入っちゃいけないスイッチが入る感じがある。そのスイッチが入ったら、私は発狂してしまうんじゃないかと思うくらい、大好きすぎて死ぬ人。

自分と夫の人生ストーリーを、こんな悲しい顛末にしたくなかった。どんな死別だって、結果としては大切な人を失うということで、共通の苦しみはあるのだけど、夫に起こったことや、最後に直面した場面は、あまりに衝撃的で、これを自分の中でどう咀嚼すればいいのか、よくわからない。自分に関することであれば、「ま、いっか!」という私の口癖で片付けて、それについて良いように記憶上で再構成して落とし込めば良い。でも、今回のことはそんなさっさかポジティブに片付けられる話ではないし、私が泣いても悲しんでも叫んでも後悔しても覆るものでもない。ましてやその一番の被害者が自分ではなくて夫なのだから、私には挽回のしようのない話になる。お詫びしようにも、本人はもうおらず、懺悔の言葉を聞いてもらうことすら叶わない。

毎日頭の中で10回は再生しているであろう、夫が亡くなるときの映像は、それまでの闘病期間から一種切り離された残酷な記憶として、私にぐるぐると考えさせる。その直前までの夫と私の共闘期間については、色々な考えが巡りながらも、私たちらしく立ち向かったと思える。でも、夫に最後に取らせてしまった行動は、どうひっくり返っても悲劇でしかない。夫に対する配慮が全く欠けてしまった、周囲の過失による致死だと思う。そんな事件のようなことが自分の人生で起こってしまったことは、闘病とか、夫との死別に加えて、第3の苦しみとして浮上してきている。

この夫の死に至るラストシーンと、その結果として終着した夫の死という体験を、この後どう自分の中で形づけるのか、まだまだ私は霧の中にいるように思う。

 

 

 

朝と夜がつらい

朝のつらさは少し慣れた気がする。

なんでも最初が一番つらくて、2回3回と経験すると慣れてくる。

夫が亡くなった当日も、その翌日も、これが細部までよく出来すぎた夢だったらよかったと思っていた。目が覚めたら、夫という存在が復活した世界になっていたらいいなと思った。

朝起きて、夫の存在がdeleteされた世界のままであることに気づいた絶望感は強烈だった。11月の朝日が部屋いっぱいに差し込んで、部屋の中がこれでもかと明るい中で、とてつもない虚無感と取り返しのつかない苦しみの感情に襲われた。虚しさって、肥大化すると絶望感になるんだなって初めて思った。

 

夜のつらさはまた一味違う。

夜は積み上げ型で苦しさの粒を噛み締めていく。

1日見つめ続けた遺影の笑顔が見ていて苦しくなってくる。日中に眺めていた写真や動画はほんの数年前。この誤差くらいに最近の記録の中では、とびきりに幸せでほのぼのした2人なのに。その幸せだった日々と、今無言で笑う遺影を前にして、暗闇がドーンと自分の上にのしかかる気分。夜のつらさは、ちょっとしたきっかけからじわじわくるだけに、どんどん大きくなって覆ってくる感じが怖い。もう2度と〇〇できない、行けない、聞けない、見られない、などの「2度とできないシリーズ」が次々と自分の頭の中に浮かび上がって、自分をどんどん追い詰めてしまう。朝だって晩だって、むしろ亡くなった日から、改めてあんたが考えなくたってそりゃ状況は同じだろうと誰かが冷静に突っ込んでくれたらいいのに。いや、そんなツッコミ入れる奴が本当にいたら私は傷ついて怒るんだろうけどさ。

 

実家に帰ってるおかげで、「これ以上考えるとまずいな」って時に、うまくストッパーをかけられている気がする。本当に、1人で過ごしていたら大変なことになったと思う。将来、こういうボランティアがあればやりたいと思うくらい、死別直後の一人暮らしは本当に老若男女きついと思う。人の生活音や声が家の中にあるだけで、その悲しみが真実ではあるけど唯一解ではないと気づかせてくれる。自死だって、人と一緒の場所で起こりにくいのはそういうことなんじゃないかな。一人で思いつめないと遂行することがとても難しいと思う。一人になれた時や、他の人の声や考えを実質シャットアウトできる擬似の一人空間で起こりやすいんじゃなかろうか。そう考えると、人とつながって、思い合えることって、本当に大切なんだな。しつこいようだけど、そうすると私の一発ギャグがあれば夫の死は回避できた論もあながち間違ってないよね。何かその場の雰囲気を壊す破壊力をぶっこむって、すごく効果的だと思う。わたしが夫と言ってたのって、もう小学生並の低俗なギャグだったから、本当に気が抜けたと思うんだけどな。本当に必要な時には活用できなかったな。

 

もっと色々考えようと思ったことがあったけど、とりあえずこれで一旦休もう。

自分がどんなことを考えているのか文字に落とすことで、すごく救われてる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

記録魔

過去に思い立ってブログを書こうと思って開設したことはあったけど、3日坊主どころか投稿2回くらいで終わってしまったように思う。

 

夫との闘病が始まってからも、ブログは特にやらず、ひたすら自分のパソコンに日記をつけていた。喜怒哀楽がブンブン振れる日記。嬉しいこと書きながら次の瞬間に絶望したり、絶望の中で夫と心が通じ合って泣いて喜んだり、夫が苦しみながら痛いほどの優しさと愛情を伝えてきてくれたり。

 

闘病の途中にも、そして夫が亡くなってからも、「あの時自分は薄情だったな」とか、「夫から離れて自分だけ休んでしまっていたな」とか、「ひどいこと言いっぱなしにしたな」とか色々考えた。でもその頃の日記を振り返って読み解くと、その時々で必死に食いしばって奔走している自分がいた。頑張って、頑張って、頑張って、まだ頑張って、転んで擦り傷負ってたら車が突進してきてもまだ立ち上がって、目の前を走る夫に全力で飛びついて抑えてようやく2人で落ち着いて一瞬会話する。また翌日から爆発する夫の周りでなす術なく心臓を痛めながら寄り添いようもない中で寄り添おうとして、それなのに夫が耳を向けた瞬間にひどい言葉が私の口を突いてでてしまう。そこから猛省と自己嫌悪に陥って、この苦しみの中で手を差し伸べてくれない周りに腹の底から怒りをぶつけたりしながら、それでも次に夫に会ったときには反省と謝罪と愛を伝える。そんな日々を365日、送っていた。

 

その軌跡が、この記録に残っている。記録を読めば、確かに2人で立ち向かっていたとわかる。一番苦しくて頑張っていたのは間違いなく夫なのだけど、その7割くらいを私も実感しようと必死だった、そう思える。そのために私はこの期間を生き抜いていた。

 

結末がこんな結末で、ましてや夫を死に追い込んでしまったという重石のようなものを背中に背負った今、まるごと自己否定をしたくもなる。でも、子犬の2人が耐え抜いて耐え抜いて闘った2年間でもあった。そのことを胸に何度も何度も刻んで、夫と自分を称え合いたいと思う。

 

 

「思い出の中で生きたくない」

私の仕事は安定している。

それなりにやりがいも感じてきたし、評価もされてきたと思う。

でも、「みんみんには何かもっと合う仕事がある気がする」と夫に言われたことを思い出した。

 

私は一言で自分の性格を表すことはできないけど、これと確信したことがあると、しつこいぐらいにしがみついて取り組むタイプ。

 

それは、夫を支えるという過去2年間の中でも、揺らがず持ち続けた信条だった。たまに、私のこの強さが、夫から「頑張らない」という選択肢を奪ってしまっているかなと思うこともあった。私が夫の回復を信じて、一瞬も諦めた表情を見せないために、夫は折れて医療にかかるということを拒絶してしまったのではないか。私が、「もうだめ、お手上げ」と言って夫を病院に強制連行することに委ねたら、夫も私が手放したせいだと考えて、医療にかかることの諦めがついたかもしれない。夫の体調が崩れてから最後の瞬間まで、夫の意志を尊重することと、周りがお手上げして嫌がる本人を医療につなぐこと、この両者のバランスがとてもとても難しかった。でも、死んでしまった今となっては、もっとできることがあったのではないか、あまりに長期間夫に耐えさせてしまったのではないかと後悔もする。それでも、夫は快方に向かっている感覚が私を含む家族全員にあったから、尚更この一連の判断はとても難しかったと思う。

 

もう一つ悔やまれることは、やはり私が欲したサポートが周りになかったことだ。夫が苦しいのは1日24時間、私が苦しいのは15時間として、この1割でもいいから、毎日一緒に伴走して、少し冷静に状況を見ながら思考を支援してくれる人がいたら。

 

人は支え合って生きているのだから、必要な時には社会的な義務や責任を放棄して助け合えたらいいのに。なぜ本当に必要としている人に、必要な支援を必要な時に与え合えないのか。人は人と一緒に生きるために生まれてきたのに、なぜどうでもいい雑務を優先してしまうのか。

秘境のジャングルに立ったら、仕事の会議にでることも、メールを打つことも、相手先に訪問することも、大きな契約を締結することも、どれもなんの意味もない。ジャングルで目の前に立つ人だけが本当は大切な存在だ。なのに、都市に場面を移した瞬間に、目の前の人よりもからっぽの物やコトに追われる。目の前の苦しむ人はそのままにされる。

 

今日自分の親と話していて、私は「思い出の中で生きたくない」といった。

これまでは、私が少しでも転職の話をすると、今の安定した職を失わない方がよいと眉間にしわを寄せて心配してきた親だ。今日は、「そりゃそうだよね、新しいことに取り組まないとね」って言ってくれた。ちょっと嬉しかった。

 

私は下を向いたり、絶望したりしたら、夫はきっと悲しむし、できることなら明るく朗らかなままでいてほしいと思っていると思う。私にできることは、夫とのことをくよくよ考えるのではなくて、夫や私のように苦しむ未来のカップルのためにできることを探すことなんじゃないかな。今の会社にいても、全て夫と一緒の夢で描いてきたから、ものすごく息苦しい。こんなに切り替えたいと思ったことって、これまでのキャリアでなかった。

 

もう一つ、夫は物書きを目指してたから、夫の原稿をいつか夫の名前で出したい。

夫はセンスが良くて、わたしは文章が得意だから、きっといいところ狙えるよね?

 

夢を見たい

今日は夫が実家に遊びにくる。

いつも緊張しちゃうから、遊びにくることを説得するまでが大変。

あの手この手で乗り気にさせて、なんとか体ひきずってやってくる。

 

「夫くんは何時頃着くって?」

 

「ん〜、聞いてみる。。。なんかトイレ長引いて今〇〇駅あたりらしい。」

 

「あら、じゃあ15時過ぎるかね」

 

夫くんに電話して、おみやげの相談。

 

「私も途中駅まで行って、そこで落ち合って何か買う?一応お父さんの誕生日だから、お酒と、なんかデザートかね」

 

「ああ、そうだね。そうしよう」

 

地元に近い駅で夫くんを見つけるのはなんだかわくわくして嬉しい。

慣れない土地に、私のために頑張ってやってきてくれた気がする。

夫くんの愛称は色々あるけど、ちょっと可愛いので呼びかけながら歩み寄る。

 

「ぴっぴ〜⭐︎来てくれてありがとね。大変だったね!あっちで一緒買う?輸入食品のお店あるから」

 

「うん。僕ちょっとお腹ゆるくて今日大変かも」

「えぇ〜?大丈夫!気合い!!!」

 

うちに着くと、夫はへこへこ頭を下げながら、緊張マックスだけど、祖母に会ったら一気にほころんだ顔をして、祖母のマイペースな話に両手を体の前で揃えて耳を傾ける。温泉旅館の番頭さんみたいなポーズ。せっかく背がすらっと高いのに、140cm台の祖母に合わせてものすごく背を丸めてる。

 

私の家族と会話しながら、2人きりで洗面所やわたしの部屋に行くと、緊張解けて戯けてくる。「みんみん!みんみん!」って犬の物真似して飛びついてきたり、「緊張したぴ〜!」なんて言ってくる。でも、洗面所を出たらまた大人しく過ごす。

 

わたしはこれがコソコソして楽しくて、緊張をおしてやってきてくれることも嬉しくて、夫には変なプレッシャーかかっちゃったけど、幸せな時間。

 

夕飯をみんなでたらふく食べた後に、お気に入りのカップとソーサーをみんなで飾り棚から取り出して、夫は「いいなあ、いいなあ」と言っている。こういうちっちゃくてきれいなもの、可愛いもの、ラブリーなものが大好き。全然風貌からは想像もつかないんだけどね。音楽にしても、雑貨にしても、本当に優しさに溢れた角のないものが好きだったな。そんな嗜好をもった夫が大好き。

 

お風呂上がりの夫は、「お先にいただきました」と言いながら私の父のパジャマを着ていて、ほっぺがぽわっとピンクになっていて、とびきり可愛かった。お肌がすべすべで、赤ちゃんみたいな顔してたなあ。黒い直毛が濡れてきれいで、ポーズによってはかっこいい方に入りそうなのに、なんか可愛さが際立ってる。ちょっとした仕草とか、表情とかが、甘えんぼなんだよね。

 

朝はあんなに緊張してたのに、日中干したふかふかの布団に寝てもらったら、すごくぐっすり寝た。普段は早朝5時とかに起きる夫が、9時過ぎてもくーくー寝てた。緊張の疲れと、実家の安心感で、リラックスしてくれたのが、すごく嬉しかったな。

 

 

 

 

 

 

夫の現れ方

夫が亡くなった日、昔、事故で亡くなった祖父の話を母と祖母がしてくれた。

私も大好きだった祖父は、会社からの帰り道に事故に巻き込まれて亡くなった。

 

「亡くなった翌日、家の網戸に虫が飛んできて、ずっと離れないの。あれはおじいちゃんだったんじゃないかなあ」

 

そんな話を聞いた翌朝。

布団で目が覚めて、まだこの絶望の中にいることに二重の絶望を感じて、私は布団で静かに涙を流していた。すると、和室の天井を見上げる私の目の前を、コバエがぷ〜んと飛んだ。

 

次の瞬間、私はいつもの癖で、ものすごい瞬発力でバッと起き上がり、コバエをしとめてしまった。その瞬間、「あ、やべ、これが夫なのか」と思った。

 

あのぷ〜んと弱々しく飛んでるコバエは、夫くんだったな。

なんだかおっちょこちょいで、どんくさい感じがすごく夫っぽかった。

「ピシっとせい!!!」と飛びかかっていった私もとても私ぽかった。

 

お互いを苦しめたところもあるけど、お互いのそういうところが愛おしくもあったよね。

 

夫くん、頷いてくれてるかな。